大判例

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最高裁判所第一小法廷 昭和63年(あ)346号 決定

本籍

大阪府堺市高倉台三丁一八番

住居

同所一八番二号

医師

村田政勇

昭和四年八月二五日生

右の者に対する所得税法違反被告事件について、昭和六三年二月四日大阪高等裁判所が言い渡した判決に対し、被告人から上告の申立があったので、当裁判所は、次のとおり決定する。

主文

本件上告を棄却する。

理由

弁護人仁藤一、同玉生靖人、同大槻龍馬、同門司惠行の上告趣意第一点のうち、判例違反をいう点は、原判決は所論のような趣旨を判示したものではないから所論の前提を欠き、その余は、憲法三一条違反をいう点を含め、その実質は単なる法令違反の主張であり、同第二点は、判例違反をいうが、所論引用の判例は事案を異にして本件に適切でなく、同第三点は、事実誤認の主張であって、いずれも刑訴法四〇五条の上告理由に当たらない。

よって、同法四一四条、三八六条一項三号により、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官 大内恒夫 裁判官 佐藤哲郎 裁判官 四ツ谷巖 裁判官 大堀誠一)

昭和六三年(あ)第三四六号

所得税法違反被告事件

被告人 村田政勇

○上告趣旨書

右事件についての上告の趣旨は別紙のとおりである。

昭和六三年五月二七日

右主任弁護人 仁藤一

弁護人 玉生靖人

同右 大槻龍馬

同右 門司惠行

最高裁判所

第一小法廷 御中

目次

第一 上告趣意第一点

第二 上告趣意第二点

第三 上告趣意第三点

一 所得税逋税の意思の認定についての誤認

二 現金について

三 預金について

四 天野文雄に対する貸金及び利息について

五 患者碑田の治療費六〇万円について

六 加藤幸雄に対する貸付金

七 寺岸庸光に対する二四五万円

八 薬品棚卸

九 村田弘子関係店主貸

一〇 ビデオテープ及び浮世絵全集

一一 加藤俊雄関係

一二 未払金関係

第一 上告趣意第一点

原判決は、憲法三一条に違反し、最高裁判所の判例の趣旨に反する判断をなし、かつ、判決に影響を及ぼすべき法令違反の違法がある。

一 所得税法第二三八条一項は、所得逋税脱犯の実行行為を「偽りその他不正の行為により、第一二〇条第一項第三号(括弧書省略)に規定する所得税の額につき所得税を免れる」ことを規定しており、これを受けて法一二〇条一項三号は、同項一号に掲げる課税所得金額につき第三章(税額の計算)の規程を適用して計算した所得税の額と規定している。

従って構成要件要素として主要事実となるものは、所得税の額と申告所得税の差額ということになるが、実際上は課税所得金額の確定に帰着するわけである。

二 ところで、所得税法二七条二項は、「事業所得の金額は、その年中の事業所得に係る総収入金額から必要経費を控除した金額とする」と規定している。

課税所得金額に関する右と同じ型の規定は、不動産所得(二六条二項)、山林所得(三二条三項)、雑所得(三五条二項)にも設けられている。

右の各規定は所得金額を算出する方法と結果に関するものか、それとも結果だけに関するものであろうか。

もし前者だとすれば、所得金額を算出する方法はいわゆる損益法によらなければならないわけであって、いわゆる財産法によることは許されないことになり、もし後者だとすれば、損益法と財産法のいずれによってもよいことになるのである。

しかしながら、所得税法一五六条には「税務署長は、居住者に係る所得税につき更正または決定する場合には、そのものの財産若しくは債務の増減の状況、収入若しくは支出の状況または生産量、販売量その他の取扱量、従業員数その他事業の規模によりそのものの各年分の各種所得の金額又は損失の金額(括弧書省略)を推計して、これをすることができる。」旨のいわゆる推計規定が設けられていることを併せて考察すると、同法二七条二項は、事業所得における所得金額算出の結果のみではなくその方法をも定めたものと解すべく、これによって、所得金額の算出は損益法によるべきを原則とし、例外的に同法一五六条の推計によることを認めたものというべきである。

右一五六条中の「財産若しくは債務の増減の状況」というのは、正に財産法を指すものであって、財産法によって算出された所得金額は推計学における母集団に該当するものであり、各勘定科目はいわゆる試料に該当するものであって、試料については推計が許されないことは自明の理であり、このことは損益法と財産法とを同格に取り扱うことが許されない根拠である。従って、原判決の引用する最高裁第二小法廷昭和六〇年一一月一五日決定が、租税逋脱犯における逋脱所得金額の認定に財産法を用いることも許容されるべきものとしているのは右の理由すなわち例外的には財産法を用いることも許される場合があることを判示したものと理解さるべきである。

右決定は、租税逋脱犯における逋脱所得金額の認定に財産法を用いることは刑事裁判において推計を用いるもので許されないとする上告趣意に関するもので、損益法と財産法とを同格と見て自由に選択されるべきであるというような判断は示しておらず、右決定をもって所得税法二七条二項が原則として損益法によるべきであると定めていることを否定したものとは言えない。したがって、「損益法を原則とすべきであるとする法理はない」とする原判決は、所得税法二七条二項の解釈を誤り且つ実質的に前記最高裁判所の判例の趣旨に反する判断をなしたものである。

三 さらに原判決は、「財産法による逋脱所得金額の認定も、実際所得を認定する一方法であり、その認定にあたっては実際所得額を超えないことにつき合理的な疑いを容れない程度の確信を得ることが必要であるが、それをもって足りるのであって所論のいうように損益法により正しく算出されるべき所得金額を上回ることのない保障を必要とするものではない。」と判示したうえ、「本件においては、損益法によるには会計帳簿が不備であり、かつこれを補うに足る証拠が存しないのに対し、財産法による立証につき、期首期末の資産、負債の資産、負債の実額の把握に問題とすべき点は存せず、他人資産の混入も認められないから財産法によるのが適切妥当である」との第一審判決を支持している。

右の原判示は税法における罪体を無視した独断であって、罪体の不備を裁判所の心証によって補わんとするものである。

税法違反事件における罪体とは、租税債権に対する侵害行為とされているが、抑々租税そのものは、国家が何らの対価もなく一方的に取得するものであるから、真実にしたがって課税さるべき純課税額(租税債権額)よりも申告にかかる税額が下回るときにその差額のうち被告人の故意が認められる部分だけが逋脱犯を構成するものであって、真実にしたがって課税さるべき純課税額こそ税法違反事件における罪体の基礎を構成するものであり、認定税額がこれを上回るときは違法となり、憲法二九条一項の財産権を侵害することになる。また租税法違反の刑事事件も、他の一般刑事事件と同様、被告人の犯意の及ぶ部分のみが処罰の対象とされるべきであり、それが認められない部分は逋脱所得額に含まれるべきでないことは、刑事事件の原則からみて当然の結論というべきである。所得税の申告に当たっては、所得税法二七条二項に基き、事業所得にかかる総収入金額から、各勘定科目ごとに算出された必要経費を控除して算出された金額を申告所得として計算された税額を申告するのであるから、逋脱罪が成立するためには、純課税額と申告税額との差額が発生する原因となった各勘定科目につき、被告人の犯意が認められなければならず、その一部につき犯意が認められないときは、その部分については逋脱罪が成立しないものとすることは、刑事法の原則からみて当然の事理でなければならない。したがって、逋脱税額の算出については、損益法によることを原則とすべきであり、財産法が許されるのは極めて例外的な場合に限定さるべきであり、しかも「損益法により正しく算出さるべき、所得金額を上回ることのない保障を必要とする」のであり、そのような保障は必要でないとする原判決の判示は明らかに違法というべきである。

四 本来損益法により正しく算出されるべき所得金額と、実際所得金額を超えないことにつき合理的な疑いを容れない程度の確信を得た財産法により算出されるべき所得金額とは、理論上は一致する筈のものである。

ところが、原判決は実際所得金額を超えないことにつき合理的な疑いを容れない程度の確信を得た財産法による所得金額が、損益法により正しく算出されるべき金額よりも上回って構わないというのであり、このことは換言すれば裁判官がその主観によって一方を適切妥当だと宣言すれば、他方は何の理由もなく不適切不相当なものに位置づけられることになるのである。

本件における財産法による昭和四八年ないし昭和五〇年の各年末における更正額を査察官調査書類(検甲第四号)、更正決定通知書によって一覧表に纒めると別添一のとおりであって、昭和四八年分ないし昭和五〇年分の所得額は、

昭和四八年分所得額 二九、六六三、二六〇円

昭和四九年分所得額 三三、四三八、一六二円

昭和五〇年分所得額 一四九、六四三、〇九〇円

となっている。

企業の堅実経営の常識とされている収入・経費対応の見地からすれば、誰しもこれらを比較対照しただけでその計算の根拠となっている貸借対照表に疑義を抱くのは当然ではないのか。

原判定はそれでもそれが適切妥当であるというのである。

ところが適切妥当でないからこそ、右の昭和五〇年分の所得額は、第一、二審併せて四一、〇二九、一八四円減額された一一八、六六九、三二一円と認定されているのである。この減額率は正に二七・四二パーセント(犯則所得での対比では三〇・二一パーセント)という高率となっている。原判決が支持する第一審判決の「財産法による立証につき、期首期末の資産・負債の実額の把握に問題とすべき点は存せず、他人資産の混入も認められない」という判断は、事実認定と全くくいちがっているのである。

このような高率の減額認定をした裁判所がなお依然として本件では財産法が適切妥当であるというばかりでなく、弁護人が具体的詳細に数字を示して主張している損益法に対してそれが不適切不相当であるとしながら、その理由について何ら具体的な判断を示さないのは、まさに裁判に理由を示さない(刑訴法四四条、三七八条四号、四一四条)違法ならびに憲法三一条の違反があるものと言わねばならない。

「疑わしきは被告人の利益に」という原則は刑事裁判における鉄則である(例えば、最高裁昭和四八年一二月一三日第一小法廷判決・判例時報七二五号一〇四頁)。この原則は、直接的には刑訴法一条、三一七条、三一八条、刑訴規則一条から導き出されるものではあるけれども、もともと現行刑事手続の全体を覆う基本原則であって、刑訴法・同規則の全条項と解釈し運用するうえでの根本精神を表現するものである。従って、この原則に対する違反は、単なる法令違反(刑訴法四一一条一号)にとどまるものではなく、法の適正手続を保障する憲法三一条の違反となるものと思料する。

昭和五五年一二月二四日、東京地方裁判所判決(昭和四六年特(わ)二六五号)は、所得税法違反事件につき、「財産増減法によって所得金額を算定するに当っては、その算出金額(認定金額)が実額を上回ることがないことの保障が必要である。蓋し算出金額が、実額を上回るときはその上回った分については実在しない架空の所得金額によって被告人を処断することとなるからである。」「右の保障としては、第一に、修正貸借対照表の各勘定科目の金額が全て実額によって算定されていることが必要である。第二に、財産増減法は期首期末の資産負債の状態から期中における財産の増加額を知ろうとするものであるから、その中に過年度分からの持込み資産が混入するときは、当該年分以外の所得を当該年分の所得であると誤認する危険がある。従って、各勘定科目中に過年度分からの持込みがないことは、とくに留意して吟味しなければならない。第三に、財産増減法によって判明するのは期中における財産の増加額であって、その増加の原因を直接に知ることができないのであるから、所得の源泉を知る必要のあるときは、他の証拠によってこれを確定しなければならない。この観点からとくに注意を要するのは、(イ)非課税所得の混入していないことの確認(ロ)所得の種類の確認である。第四に期中における財産の外部流出分(所得の処分)とみられる事業主勘定については、とくにその数額の確定及び経費性の支出の含まれないことの確認に留意しなければならない。」「このようなすべての要件が充たされて初めて財産増減法による算出金額が実額を上回らないことの保障が得られることとなり、合理的な疑いを容れる余地のない程度に所得金額が立証されたことになるのである。」「かかる制約の多い点からしても、財産増減法は所得金額の立証方法としては間接的、補充的なものであり、損益計算法が直接的、原則的なものであることは明らかである。」と判示し、損益法と財産法との関係、財産法による場合の必要条件について詳細に説明している。

本件の所得金額について、第一、二審を通じて合計四一、〇九二、一八四円もの多額に及ぶ減額認定がなされた理由は、検察官の主張する財産法においては、右のような各条件について厳格な吟味がなされなかった証左であると共に、右のような減額認定によって残された分に関する財産法が適正妥当であるということにはならない。

その理由は原判決の基本的態度が、前述のように「損益法を原則とすべきであるとする法理はない。」とするものであり、残された分について前記各条件につき厳格な吟味がなされたものとは到底認められないからである。原判決の基本的態度を示す具体的な例として、大末建設(株)との間のジャンプを仮装した合計三、〇〇〇万円の支払手形に関する原判決の判示を挙げることができる。

原判決は、手形のジャンプが仮装であり、また仮払金はなかったことを積極的に認定するには証明不十分であるとなし、反対に検察官が主張するように手形のジャンプが真実なされたものであって、期首において仮払金及び支払手形が存在するとまで認定するにはなお合理的な疑いがあるといわざるを得ないとして、結局疑わしきは被告人の利益にという原則に則り、期首における仮払金及び支払手形の存在は否定さるべきであるとしている。

右のように結論において、三、〇〇〇万円の支払手形の存在を否定する控訴趣意は認めたものの、その論理は一般社会常識を無視し、疑われた事実について、被告人側において主張に関する立証をなすべき第一次的義務があるとし、刑事裁判における主張立証の原則を置き換えてしまっているのである。

抑々本件については、被告人が大末建設(株)に対して、昭和四九年末までに支払うべき建築代金として交付していた手形はすべて決済したところ、大末建設(株)から大和銀行に対する手前、右の内三、〇〇〇万円分についてはジャンプしたことにしてほしい、その決済分は別途返還するからとの依頼があったもので、右三、〇〇〇万円分に限っては真実の支払期日の延期でないために他の手形と異り、遅延利息が計算されていないこと、昭和四九年一二月三一日現在大末建設(株)は被告人からの預かり金二、〇〇〇万円を計上しているが、その発生の理由について説明ができないこと、昭和五〇年に入って手形三、〇〇〇万円のうちの二、〇〇〇万円と右の預り金二、〇〇〇万円とが相殺されていることが検察官提出の証拠によって明らかである。大末建設(株)は大阪証券取引所第一部上場の法人で、公認会計士による法定の監査を受けている会社である。

苟くもこのような会社が二、〇〇〇万円の預り金について、その発生理由について説明ができないということから、これに直接関連する検察官の支払手形に関する主張の立証が不完全であると考えるのが、経済社会における一般常識である。加えて右支払手形がジャンプ手形であるという検察官の主張については、金額面からむしろこれを否定さるべき明らかな証拠が検察官の側から提出されているのである。

被告人・弁護人から手形のジャンプが仮装であるとの反論が出た段階で、この点に関する検察官の主張が立証とくいちがっていることを直ちに看取できる筈である。

それでもなお弁護人が主張する手形のジャンプが仮装であり、又仮払金はなかったことを積極的に認定するには証拠不十分であるというに至っては、被告人はまさに疑われたら百年目という破目に陥るのである。

逋脱事犯においては、被告人の架空仕入となるのか、取引の相手方の売上除外となるのかによって、被告人が逋脱犯人になるのか相手方が逋脱犯人になるのか全く利害が対立する場合がある。

このような場合、相手方が一部上場会社という理由だけで、経理上の不合理を追求することなくその主張を一方的に信用して被告人を逋脱犯人とすることは、経済社会における経理の実体について全く無知なものといわなければならない。

かような検察官の無知と一方的な過信は裁判所においてこそ是正されなければならない。

右の事実については、検察官の罪体に関する立証そのものが不十分であり、原判決がいうように疑わしきは被告人の利益にという原則が適用されるような問題ではないのである。原判決は、疑わしきは被告人の利益にという原則が如何なる場合に適用されかについて的外れの解釈をしているのであり、財産法の各勘定科目についての控訴趣意を排斥した根底にはかような誤った考え方が根強く介在しているものと言わざるを得ないのである。

以上述べたところにより原判決は、憲法三一条に違反し、昭和六〇年一一月一五日最高裁判所の判例の趣旨に反する判断をなし、かつ、判決に影響を及ぼすべき所得税法二七条二項の解釈の誤り並びに判決の理由遺脱による訴訟手続の法令違反がある。

第二 上告趣意第二点

原判決は、被告人の不注意により、昭和五〇年分所得税確定申告書添付の昭和五〇年度支出計算書の支出記載合計額が一、一〇〇万一、二〇〇円過大であることを認め、これは計算を誤ったものと認めることができると認定しながら、右違算分につき逋脱の犯意を認めるとした点は、このような不注意による過少申告については、客観的には税を免れる結果を生じたとしても、それは「偽りその他不正の行為」とは結びつかないから、右不正の行為により免れた税額には含まれないとした東京高等裁判所昭和五四年三月一九日の判例(高裁刑集三二巻一号四四頁)に違反する。

一 原判決は十二丁裏から十三丁表において、昭和五〇年所得税の申告に当たっての違算の点につき

「本件の昭和五〇年分所得税確定申告書添付の昭和五〇年度支出計算書によれば、その記載の支出合計額が、各支出費目ごとの金額の実際合計額より、一、一〇〇万一、二〇〇円過大であることが認められる。そして、右支払計算書の記載だけから考えると、その記載の合計額は、算出を誤ったものとみとめることができる」

と、判示しているが、右判示は一応正当である。

二 そして右違算部分につき、申告当時、被告人は全く認識がなかったことは

1 被告人の査察官に対する質問てん末書昭和五一年九月五日付(検察官請求証拠目録九三号)問八の答の部分の供述記載によっても明らかである。右供述記載によると、

「支出計算書の合計で約一、一〇〇万円多く計上されていることが、申告書提出後事務長から計算誤りである旨報告があったので、加藤さんに電話ですぐに計算書が誤りかどうか検討して修正申告するなり、ちゃんとして下さいと一任した次第です」

となっている。

2 又被告人の第一審第三〇回公判調書(10丁裏から17丁裏まで)によると、右違算に最初に気がついたのは、昭和五一年五月初頃、江頭事務所が医療金融公庫へ右計算書写を添付提出するに際し計算し直したところ初めて違算があることに気がついて被告人に報告したこと、その報告を聞いて被告人は初めて右のような違算があることに気がついたこと、被告人は直ちに加藤に電話して右のことを伝え早速税務署に報告して申告を訂正するよう命じたこと、それまでは加藤も違算に気がついていなかったこと、が認められ、これに反する証拠はない。もっとも加藤俊雄は終始加藤が本件申告に関与したことを否定する供述を繰返しているが、加藤の証言は、一貫して同人の責任を逃れるための明らかな嘘言に終始しており到底措信しえないことは改めていうまでもないところである。

3 右の各証拠に照らせば、昭和五〇年度確定申告書添付の支出計算書には、明白に計算違いにより一、一〇〇万一、二〇〇円だけ支出額が多く記載されており、その結果として、右金額分だけ所得額が少なく申告されていること、及び右違算に被告人が気がついたのは、申告後二ヶ月余を経た昭和五一年五月初頃であり、早速加藤に申告を修正するよう指示した事実が認められる。

したがって、右違算金額だけ所得が少なく計算されている点について、被告人に故意がなかったことは明瞭である。

三 しかるに原判決は、右違算部分についても、まことに奇妙な論理のもとに、結局において被告人の逋脱の犯意を認めるべきであるとする。しかし右の原判示の理由は、極めて不当であり到底承服できるものではない。

1 原判決はその理由の第一点として次の通り判示している。(一三丁表)

「もともと経費については、病院事務所で集計した分は別として、被告人が病院事務所を経ずに支出したとして加算し、あるいは加藤俊雄が適宜加算した分については、その裏付けとなる証拠資料がなく、その正確性を確認できる方法がないのであって、そうすると、申告者である被告人としては、合計額が誤りであったと認めればそれまでであるが、そうではなく各費目の記載中に誤りがあったとして、合計額のほうを正当金額と主張することも考えられるのである。」

と。しかしながら、右の論理は一体何を言わんとしているのか、趣旨不明の判示というべきであり、到底正当な論理的批判に堪えられるものではない。

その理由はつぎのとおりである。

(一) 右判示の前段部分すなわち各勘定科目の数字の正確性を確認できる方法がないという点についての認定の当否は別として、各勘定科目の算出金額が正確であるか否かは、その各科目の合計額に違算があるということとは全く無関係である。各勘定科目の数字が正確でないなら、その部分について犯意を認定できるかどうかを判断されるべきであり、違算の点に犯意があるかどうかとは全く無関係な事柄というべきである。

(二) 右判示の後段部分に到っては、更に不可解な論理というほかはない。すなわち、「被告人としては、合計額が誤りであったと認めればそれまでであるが、そうではなく各費目の記載中に誤りがあったとして、合計額のほうを正当金額と主張することも考えられるのである」というのであるが、一体、被告人は何時そのような主張をする可能性があったというのであろうか。

ここで問題とするのは、本件の申告時点に於ける右の点についての被告人の認識(犯意)なのであり、本件の捜査や、裁判の審理中にどのように弁解する可能性があったかということは、申告時における被告人の犯意とは全く関係のない事柄である。

また被告人は、捜査の当初から、右の点については合計額の計算違いであると認めているのであり、合計額のほうが正確であると主張したことは一度もないし、また、そのように主張しうる余地は全くない。すなわち、支出計算書に記載された数字は、動かすことができない程明瞭であり、その誤記などを主張しうる余地はなく、また、それらの数字の合計額に明らかな違算があることも動かし難いところであって、原判示のいうように、「合計額のほうを正当金額と主張」しうる余地は全くないのである。原判決が何故このような論理を展開したのか、まことに理解に苦しむというほかはない。

2 さらに原判決は理由の第二点として次の通り判示している。

「前記一で認定したように、被告人が所得税逋脱の犯意をもって、収入金額から右支出計算書記載の合計額を差し引いた金額一、三八三万九、二三二円を、総所得金額として申告したことを併せ考えると、被告人としては、支出計算書に違算があったか否かにかかわらず、右金一、三八三万九、二三二円を所得金額として申告する意思であって、同額以上の所得金額についての、所得税はこれを免れようとしたものと認めるのが相当である」

と。

しかしながら右判示部分の論理は、故意と過失との区別を混同し、かつ何ら証拠に基かない恣意的認定によるものであって極めて不当なものというべきである。

(一) 前記のとおり、本件申告に当って、支出計算書に計算違いがあったこと、及び、被告人は、右計算違いに気がついてはいなかったことについては、これを覆すに足りる証拠はない。

もし、被告人が申告に当って、右計算違いに気がついていたとすれば、当然この点を修正し、違算金額を加算した金額を申告していたであろうことは、誰しもが容易に推認しうるところである。もし原判示のように「被告人としては支出計算書に違算があったか否かにかかわらず、右金一、三八三万九、二三二円を所得金額として申告する意思であった」と認定するためには、そのように認めるに足りる特段の事実ないしは理由を必要とする筈であろう。仮に判示のような結論をうるためには被告人が、もし違算に気がついたとしても、敢えてこれを排除して、どうしても右一、三八三万九、二三二円と所得金額として申告しようとする意思があったこと、あるいは、如何なる理由があろうと右金額以上には申告する意思がなかったことを認めるに足りる事実ないし証拠がなければならないであろう。しかし、原判決は、そのような特段の事由を認めるに足りる事実はないし証拠を挙げていない。

(二) もっとも、原判決は「前記一で認定したように」と判示しているので、前記一に認定した事実が、右にいう特段の事由と解しうるか否かを検討しておかねばなるまい。前記一に認定した事実とはつぎの事実であると解される。

(1) 被告人が、その昭和五二年三月二五日付質問てん末書において、昭和五一年三月一五日に、加藤俊雄から示された経費一覧表が、同月一三日に被告人の加算分を加えて算出した支出計算書の総額より、三、〇〇〇万円ないし四、〇〇〇万円増額されていると思った旨供述し、

(2) さらにその検察官に対する昭和五四年三月九日付供述調書において、昭和五〇年分の実際の所得は、その申告当時四、〇〇〇万円くらいはあると考えていた旨供述していること。

(3) などを併せ考えると、被告人は本件申告にかかる総所得金額一、三八三万九、二三二円が、実際の総所得金額より著しく過少の金額であることを承知していたと認めるのが相当であること。

(4) そうだとすると、被告人は右申告にかかる総所得金額以上の所得金額については、申告の意思がなかったものである。

(三) しかしながら、右(1)(2)(3)の各認定が誤りであることは、後述(第三の一記載)するとおりであるが、仮に右事実が認められるからといって、前記のような特段の事由とすることは出来ない。

すなわち、被告人は計算された収入金額から、計算された支出金額を差し引いた金額を所得金額として、申告したのであるが、その支出金額の合計に当って、違算があり正当に計算されておれば、当然その分だけ所得が増大することになるという点について何らかの認識ないしは認識の可能性があったのに、敢えてこれを容認して、その分だけ過少の申告をしたという事実は、右(1)ないし(3)の事実からは認められない。

右(1)ないし(3)の事実は、支出計算書には右のような違算がないことを前提として、その金額が、実際の所得よりも少ないことを認識していたということに過ぎないのであり、支出計算が正当になされていたならば、もっと高い所得額が計算されてくる筈であるのに、敢えて右に算出された金額以上には申告する意思がないという事実までも認定しうるものではない。

また、前記(4)の被告人は、右申告にかかる総所得金額以上の所得金額については、申告の意思がなかったという点については、何らこれを認めるに足りる証拠はない。申告に当っての金額が過少であると認識していたことと、如何なる事由があろうと、それ以上の金額を申告する意思がなかったということとは、明らかに異なるのであり、過少であることの認識があったからと言って、直ちに、それ以上の金額を申告する意思がなかったとまで認定することが誤りであることは敢えて多言を要しないところであろう。

3 原判決は右のような明白に誤った論理ないし認定のうえに立って、

「被告人の本件所得税逋脱の犯意は、江頭事務長に収入の一部除外を指示した二、四〇〇万円の所得金額についての所得税に限らず、本件過少申告により免れた所得税額全部に及ぶというべきである」という。右の論理は、行為者において所得の一部を除外する等の不正行為の認識がある以上、実際に発生した逋脱の結果と、右認識との間に喰違いがあったとしても、それは、同一構成要件内における具体的錯誤の場合にほかならなず、被告人の認識しなかった部分を含む、全部の逋脱の結果について、故意の成立が阻却されないとの論理に立つものと思われる。

しかしながら、所得税法第二三八条一項は、「偽りその他不正の行為により(中略)所得税を免れ」と規定しているのであるから、実際所得額と申告額との間の不一致があれば、直ちにその差額全部が逋脱額となるものではなく、「偽りその他不正の行為」に基く実際所得額と申告額の不一致部分のみが逋脱額となるべきものである。

すなわち、故意に基く所得の隠蔽工作とはかかわりなく、故意によらず、あるいは不注意や、思い違い等による収益の過少記載又は損金の過大記載に基く過少申告によって、客観的には税を免れる結果を生じても、それは「偽りその他の不正の行為」とは結びつかないから右不正の行為により免れた税額には含まれないものと解すべきである。

前掲東京高裁昭和五四年三月一九日判決はこの点について

「しかしながら所得税逋脱犯の故意が、右のように具体的または個別的な脱税の認識である必要がないというのは、免れた全税額につき全体として脱税の認識が認められれば足りるという趣旨であって、故意に所得を隠匿する行為とは、無関係に生じた収入の過少記載または経費の過大記載によって生じた所得の過少申告分をも包含する趣旨に解すべきではない。従って右のような所得の隠匿行為とは、無関係に生じた誤記誤算又は不注意や思い違い等に基く過少申告によって免れた所得税額は、所得税法二三八条にいう『偽りその他不正の行為』により免れた所得税には含まれないと解するのが相当である」

と判旨している。右の原判示は右判例に違反することが明白であり、この点については、未だ最高裁判所の判例がないから、刑事訴訟法四〇五条第三号の上告理由に該当する。

第三 上告趣意第三点

原判決には判決に影響を及ぼすべき重大な事実の誤認があり、原判決を破棄しなければ、著しく正義に反すると認められる違法がある。

一 所得税逋脱の意思の認定についての誤認

1 原判決はつぎの二つの事実を認定して、被告人に所得税逋脱の犯意があったと認定した。

〈1〉 昭和五一年三月一三日加藤の指示により江頭事務長が病院事務所で計算した自由診療収入分から二、四〇〇万円を除外した。また右二、四〇〇万円は加藤に対する支出金として必要経費にあたると認識していたとは認められない。

〈2〉 昭和五一年三月一五日加藤が被告人に対し、同月一三日に作成した支出計算書とは異なる内容の経費一覧表を示して、そのとおりの支出計算書を書き、これに基いて所得額を計算したが、その際被告人は、その支出合計額が同月一三日に算出した金額より三、〇〇〇万円ないし、四、〇〇〇万円増額されていることを知った。

2 さらにつぎの事実を挙げて、右逋脱の犯意は本件過少申告により免れた所得税額全部に及ぶと認定した。

〈1〉 被告人は、病院事務所で管理する経理を統括していたほか、自ら収入支出の一部を直接管理し、さらに資金繰りについてもみずからが直接行うなどしていたもので病院の収支について、概ね把握していたことが認められる。

〈2〉 昭和五〇年分の実際の総所得金額が一億円を超える多額なものであるところ、査察官に対する昭和五二年三月二五日付質問てん末書において前記1の〈2〉を認める旨の供述をし、さらに、検察官に対する昭和五四年三月九日付供述調書において、昭和五〇年分の実際の所得は、その申告当時四、〇〇〇万円ぐらいはあると考えていた旨供述していることを併せ考えると、本件申告の額が実際の総所得金額より著しく過少の金額であることを承知していたと認められる。

しかしながら、右の各認定は何れも重大な事実誤認によるものである。

3 収入金額より二、四〇〇万円を除外した事実の認定について

(一) 昭和五一年三月一三日、江頭事務長が計算した自由診療収入分から、加藤の指示により二、四〇〇万円を除外した旨の原判決の認定は概ね正当である。しかしながら、被告人は、右二、四〇〇万円は加藤に対する支出金であるが、病院経営のためのやむを得ない必要経費であると考えていたのであり、これを経費として計上する代りに収入金から除外しても、結果として所得金額に影響を与えるものではないから、許されると考えていたものであり、これをもって被告人に右金額分だけ逋脱の犯意があったと認めることは出来ない。

(二) 被告人が加藤に対し、多額の金員を支出するようになった経緯およびその理由の詳細については、控訴趣意書第三の一の2(二)項の(1)ないし(10)(同趣意書39頁ないし61頁)に詳述したところであるから、これを援用する。

これを要するに、右被告人は加藤俊雄を税務の専門家であると誤信しており、かつ、加藤が説明をすれば、通常なかなか認められないことも認めてもらえる力を持っていると誤信していたのである。したがって、加藤が自分に対する支払は経費に認められるといえば単純にそのように信じ、その結果これを経費として計上する代りに収入から差し引いても、結論として所得額に変りがないのだから、それでよいのだと説明されれば、ごく単純にこれを信用したものである。それは一見極めて幼稚であり、余りにも無知ではないかとみられるかもしれないが、過去において加藤が税務申告について果たしてきた役割やその力を誤信し、これによって、煩わしい税務申告から開放されて医療に専念できると信じていた被告人としては無理からぬ点があったと考えられる。

(三) 被告人が昭和五一年三月一三日夜、加藤の言に従って、二、四〇〇万円を、自由診療収入分から減算する行為を容認したについては、以下に挙げる幾つかの錯誤があったというべきである。すなわち、

〈1〉 加藤俊雄は税務の専門家であると誤認していた。

〈2〉 加藤は、例えば「領収書のない経費でも説明の仕方によっては認めて貰えるものがある」とか、「同じ支出でも、経費と認められるものと認められないものがあり、それはその説明の仕方と人間関係で決まってくる」などと申向けて、加藤に任せておけば適法にかつ有利に税務処理ができると誤信していた。

〈3〉 右のように、加藤に税務の処理を委せるために加藤に支払った金は、全部適法な経費として認められるものと誤信した。

〈4〉 加藤に昭和五〇年度中に支払った費用は、二千万円を超えると誤信していた。

〈5〉 加藤へ支払った経費を経費の欄に計上せず、その分を収入から減算しても、結果として昭和五〇年度の所得額に変りがないから、そのような方法をとることも許される。

(四) 右の錯誤が、被告人の脱税の故意を阻却するであろうか、中でも重要なのは右のうち〈3〉ないし〈5〉である。

(1) 前記〈3〉の錯誤について。

被告人は加藤の要求で渡した金員は、全部加藤の税務処理に対する報酬であると信じていた。客観的にみれば、加藤は税理士の資格をもつ専門家でもなく、病院から昭和五〇年は一六七万六、〇〇〇円の給与を受けていること、他の税理士に対し通常支払われている報酬額等と比較すると、その額は余りにも多額であることは認めざるをえないところである。

しかしながら他方被告人にとっては、過去において加藤が被告人の税務申告について果たしてきた役割や、税務署の職員が加藤に対して接してきた態度等からみて、被告人の目には、極めて信頼しうる重要な税務の専門家であると映っていたこと、またこれによって煩わしい税務申告から開放されて医療に専念できると考えていたことなどから、被告人が加藤の要求で支払ったものは、病院経営のため有益かつ必要な経費であると信じていたものである。もっとも一審判決の指摘するとおり、加藤が金員引き出しのために用いた口実の一部については、真実の使途と違うのではないかという疑を持っていたことも事実であろう。しかしながら、このような加藤経費の支払は、当初は税務申告等に対する謝礼として支払ったきたものであり、それがある一定の金額にとどまっている限りにおいては、当然正当な経費と認められるべき性質のものである。ところが、昭和四八年頃から加藤は税務に関するいろいろな口実を設けて、多額の金員の支払を求めるようになったが、それが何程であれば、加藤に対する報酬の範囲として適正なのであるかという点について、被告人にはこれを判断する資料や能力がなかったこと、加藤が手を引くことによって惹起されるであろう様々な困惑や病院経営に与える悪影響(それは単に税務関係のみではなく、看護婦のストライキを陰であやつっているおそれなども含むものである)等を考えて、ズルズルとこれに応じてきたものであった。しかも、税務の専門家であると信じていた加藤が、この経費は税務上の経費として認められるものであることを、再三にわたって説明して被告人にこれを信用させていたのであるから、被告人が、加藤経費を税務上正当な経費であると認識していたとしても、決して無理からぬところである。このように本来は正当な経費となるべき支出が、ある一定の限度を超えた場合にはその適正性が失われ、その一部が経費性を認められないようになるか否かという点についての事実認識の錯誤は、事実の錯誤として故意を阻却するものというべきであり、仮に法律の錯誤であるとしても、かかる専門的知識を必要とする判断についての錯誤は故意を阻却するものというべきである。

(2) 前記〈5〉の錯誤について。

被告人は、加藤経費は正当な経費であると信じて、昭和五〇年度の申告に於ても、これを経費として申告しようとしたのである。ところが、被告人は税務の専門家であると誤信している加藤から、経費に計上しようが、その分だけ収入から差引こうが、結果としての所得額には変りがないから経費に計上する額と同額を収入から差引くように言われ、それも許されると信じて加藤の指示する通り自由診療収入分から二、四〇〇万円を差引いたのである。もし、被告人が当初の考え通り、加藤経費を経費の欄に計上して申告していたとすれば、結果としての所得金額は変わらないのに、これを偽りまたは不正な行為として処罰の対象とすることはできず、その経費の全部は一部が否認されるにとどまるものであろう。

また被告人としては、収入から差引いても、経費として計上しても、結果として所得額に変りはないから、そのような方法も許されると考えて右のような措置をしたものであるから、これによって、脱税しようという犯意があったとは言えないところである。したがって、被告人が加藤経費は、当然経費と認められるものとの認識のもとで、これを経費として計上したのであれば勿論のこと、これを経費に計上せず、その同額を収入から減算したとしても、これにより直ちに被告人に脱税の犯意ありと認定することは出来ないというべきである。

(3) 前記〈4〉の認識について。

これを要するに、本件に於て自由診療分から、二、四〇〇万円を差引いた行為をもって、脱税の犯意ありというためには、結局に於て、右加藤経費が、税法上正当な経費ではないということを被告人が認識していたか否かによるというべきである。しかしながら被告人がそのような犯意あるいは認識を持っていたことを認めるに足りる証拠はない。

唯ここで問題となりうるのは、被告人は申告時において昭和五〇年度における加藤経費が総額いくらであると、認識していたのかという点であろう。

この点について原審第五回の被告人尋問の結果によると(同調書二七丁ないし三一丁)被告人は二月二〇日頃加藤に呼ばれて、深夜加藤宅へ行く時に、被告人は原審提出の弁一五号証手形受払帳中、加藤経費として振出した手形金額を計算し、一月から一〇月末まで一、七八五万円となることを確かめ(同手形受払帳五〇・一〇分の欄の欄外上欄の記載参照)さらに一〇月以降一二月迄少なくとも二〇〇万円は下らない金額を加藤経費として出ていることを確認しており、その合計が二、〇〇〇万円を下らないことを確認しているというのである。したがって、被告人の当時の認識としては、少なくとも二、〇〇〇万円を下らない額が、加藤経費として支出されている旨の認識があったことがうかがわれるのである。ところが三月一三日夜、このような加藤経費の処理について、加藤本人から二、四〇〇万円を差引くよう言われたので、債務者本人のいうことだからと、簡単にその金額が正当であると思い、二、四〇〇万円を差引くことになったというのである。以上の事実に徴すれば、被告人としては昭和五〇年度中における加藤経費は、二、〇〇〇万円を下らないと認識していたというべきであり、これに反する証拠はない。したがって、厳密に言えば、その差額四〇〇万円については、過大である旨の認識もなかったとは言えないとしても、少なくとも二、〇〇〇万円については正当な経費としての認識があったものということができる。

以上検討したように、被告人は、いわゆる加藤経費二、四〇〇万円は昭和五〇年度の正当な経費であるとの認識のもとで、これを経費計上したと同一の結果になる、収入からの同額除外という所為に出たものであり、この事実をもって、二、四〇〇万円について脱税の犯意ありということはできないというべきである。

4 経費の支出計算書について、三月一三日に算出された金額より三、〇〇〇万円ないし四、〇〇〇万円が増額されていることを知っていた旨の認定について

右認定は原判決において初めて指摘された問題点である。確かに原判示指摘の昭和五二年三月二五日付質問てん末書問一六の問答には被告人の答として「三千万円か四千万円見当の経費が殖えていると思いました」旨の供述記載がある。しかしながら右供述記載は、その供述の記載自体からみても、あるいは他の証拠からみても、明らかにおかしいのであり、到底信用に足りるものではない(したがって、事実関係として、一・二審とも検察官においても、右の供述を証拠に被告人の犯意を裏付けるものとする主張はなされておらず、また弁護人も、この点を問題として、攻撃防御の論点の一つとはされなかったのである)。

その理由はつぎのとおりである。

(一) 右供述記載は、記載自体からみても査察官の誤った認識に基く誘導によりえられたもので、具体的に何の根拠もないものである。すなわち、査察官の発問は

「加藤に渡した金を、貴方は克明に記録していたのですから、当然五〇年の経費に加藤がいくら加算したか判かった筈ですが」

となっており、三月一五日の朝加藤が被告人に渡した支出計算書には、被告人が支出した所謂加藤経費が加算されているものとの前提のもとに質問がなされている。そしてそれを受けて、加藤経費分の総額に見合う金額として三、〇〇〇万円ないし四、〇〇〇万円見当の経費が殖えていると思った旨の供述となっているのである。

しかしながら、後述するように、加藤が三月一五日に被告人に渡した支出計算書には、そのような加藤経費が加算されていないことは明白であるから、この計算書には加藤経費が加算されているとの前提でなされた右質問は誤りであり、これを受けての答も、右質問の誤りに気が付かないままになされた供述であって、到底信用し難いところである。

(二) 加藤作成の支出計算書(これに基き被告人が清書して、本件申告に添付したもの…以下は加藤計算書という)では、三月一三日に被告人と事務長とで計算々出した支出計算書(以下被告人計算書という)の合計額は殆ど変りがなく、むしろ加藤計算書の合計額の方が少なかった事実について。

(1) 加藤自らが作成しこれに基いて被告人に清書させたメモの原本は存在しない。しかしこれにより被告人によって清書された支出計算書は本件申告書に添付されている。

(2) 昭和五一年八月に堺税務署の調査があった際、税務署に説明を求められた被告人は、早速加藤に対し、一三日に被告人が加藤に渡した計算書等の返還を求めたが、「ない」という理由で渡して貰えず、その代りに加藤から車のトランクの中にあったカバンの中から出してきて貰ったメモを受取り、これを被告人は所持していた(前記質問てん末書問一四の答、一審第三〇回公判調書26丁ないし33丁)。これが検86号のメモである

(3) 加藤の説明によれば加藤計算書の各勘定科目にメモをあてがえば被告人が計算した所謂被告人扱の経費(以下院長経費という)を、どの勘定科目に割振ったかが分かるということであった。被告人は早速このメモをもとに、被告人が三月一三日に作成して加藤に交付した院長経費を再現しようとしたが、デタラメに割振られているので、結局このメモからは再現ができなかった(前記三〇回公判調書32丁ないし34丁)

(4) そこでこのメモを離れ、被告人の手許に残っていた資料と記憶に基いて、院長扱の費用を再現したものが、弁21号証である。この弁21号証の科目別の経費の集計は六、七八七万二、七九三円である。これに対し加藤メモの合計は六、三五〇万円であるから、合計で四三〇万円強加藤メモの合計は少ないことになる。

(5) したがって、三月一五日に加藤が被告人に示した支出計算書の総額は、三月一三日に被告人らが計算して加藤に渡した計算書より少なかった筈である。しかし加藤はその支出計算の集計の際違算し、実際の合計額より一、一〇〇万一、二〇〇円多い金額を合計欄に記載していたのであるから、そこに算出された集計額は右一、一〇〇万一、二〇〇円から四三〇万円を差引いた金額すなわち六七〇万円余多かったにすぎないことになるのである。

(6) 右の検討の結果明らかであるように、三月一五日に加藤が被告人に清書させた支出計算書の合計額は、被告人が三月一三日夜計算して加藤に交付した計算書より六〇〇万円余多かったにすぎず、三、〇〇〇万円も四、〇〇〇万円も多かったということは絶対にありえないのである。

(7) すなわち、加藤は、被告人が算出した被告人扱いの経費約六、七〇〇万円を加藤の判断で適当に各勘定科目に割り振た支出計算書を作ったにすぎないのであり、三、〇〇〇万円も四、〇〇〇万円も架空の経費を加算して支出計算書を作ったものではない。

(8) 勿論被告人が加藤に支払った所謂加藤経費については、三月一三日夜加藤の指示で収入の自由診療分の中から二、四〇〇万円を除外することになったので、加藤もこれを更に支出計算書に加算することはありえない。

(9) しかるに、前記質問てん末書を作成した査察官は、その点を看過し、支出計算書に所謂加藤経費を加算したという前提で被告人を誘導し、前記のような誤った供述を引き出したものである。このような供述が信用できるはずはない。

一審以来右(1)ないし(8)の事実、すなわち、加藤計算書はその合計額において、被告人扱の院長経費と変わらないという事実については争いがなく、これを前掲とする限り、このような誤った供述記載を改めて問題とする必要がなかったのである。

(三) この点につき被告人の検察官供述調書(昭和五四年三月八日付)によると(同調書八項)

「このように加藤が支出金計算書の原案をこしらえてきたことは間違いありません。その時加藤から支出金つまり病院の必要経費に水増しをしておいたとか、どれくらいの金額を水増したという話はありませんでした。二日前に私と江頭事務長とで作っていた支出計算書と、加藤が持ってきた原案の金額合計額を比べてみれば、どれだけ水増しがなされているかが分ることになるのですが、うかつにもこの点の対比をせずに、加藤のつくってきた原案のとおり支出計算書を作成したのです。」

との記載がある。さらにこの点につき同調書には

問 君は加藤からこの水増しに関するメモを五一年八月頃受取りそれで初めて水増しの事実を知ったように言うが、実際は五一年三月の申告書提出の時点で自ら水増しを加えたのではないか。

答 そうではありません。自由診療収入が抜いてあることは私が直接江頭事務長にお願いしたことでもありますので十分承知していましたが経費の水増しのことは加藤がやったことでであり、加藤からその点の話は何も聞いていませんでしたので本当に知らなかったというか、これに気付かなかったのです。

問 仮に加藤がやったにせよ同人が持ってきた原案を見ながら清書するときに経費の科目によっては実際にかかった経費よりも多くなってきることに気付いたのではないか、全く気付かなかったというのはいかにも不自然と思われるがどうか。

答 本当に気付かなかったのです。只今五〇年分の申告書に添付した支出計算書とメモを照合してみますと、例えば支出計算書のうち燃料費は四四九万三、一四〇円になっていますが、どう考えてもみてもこれだけの燃料費がかかったとは思われませんし、これに水増しがあることぐらいはすぐに分かります。現在はそのようにすぐに分かりますが五一年三月の当時はとにかく加藤が書いてきた原案のとおり書き写しただけで各経費の科目ごとに実際にかかったと思われる経費と対比して考えるだけの余裕がなかったのです。ですからこれに気付かなかったのだと思います。

旨の供述記載すらあるのである。検察官としては、この点が被告人の経費水増の認識を捉えるうえで最も重要な点であることを十分意識しつゝ尋問し、追及したことが十分うかがえるのであり、この段階では前記質問てん末書の供述があることも、検察官は十分知っての上でのことであったと推測されるのである。しかしながら前記のような事実関係を考慮に入れれば、この点に関する前記質問てん末書の供述は信用し難いとの判断のもとに、右の検面供述をとられたものと推測できるのである。したがって、一審以来検察官もこの点を問題とされることは全くなかったのである。

(四) しかるに原判決は、右のような証拠を無視し、判決において突如、右質問てん末書の数行の供述記載をとりあげ、これをもって、被告人の脱税の犯意を認める有利な証拠としたのである。

当事者が一・二審において全く問題にしなかった証拠の中から、犯意認定のために有力と思われる供述記載を発見した原審裁判所は、その形式的な証拠を無批判に採用して、有罪認定の重要な証拠としたのであるが、右の証拠は、遺憾ながら、全く信用できない形骸だけの証拠にすぎないことは、以上の指摘から明らかであろう。

5 検察官に対する「申告当時実際の所得は、四、〇〇〇万円位はあると考えていた」旨の供述について

(一) 右の点についての検面供述について

右の認定の証拠となった検面供述中昭和五四年三月八日付検面供述はつぎのとおりである。

〈1〉 税務署に申告する五〇年分の所得金額は、今申したように約一、三八〇万円になっていましたが、実際の所得はそれを、かなり上廻る金額であることも十分判っていました。つまり実際の所得を、そのまま正直に申告せず、これをかなり下廻る所得しかなかったように申告して、その分だけ本来であれば、納めるべき所得税を少なくてすむように申告をごまかすものであることを十分承知しながら、このような申告書をこしらえて、税務署に提出したものです。

〈2〉 五〇年中に病院すなわち私の個人の所得がどれ位あったものか正直な金額を自ら計算したり、また江頭事務長らにその計算をやらせたわけではありませんので十分な認識がありませんでしたが自分の頭の中で大ざっぱな計算をした範囲で申告当時における所得金額をどのように認識していたかと申しますと約五、〇〇〇万円から六、〇〇〇万円近くの所得があったのではなかろうかと考えていました。

〈3〉 それは病院の所得を計算するうえにおいて五〇年中に加藤俊雄関係に出してやった金が約一、五〇〇万円位あるなと思っていましたし、四九年中に加藤俊雄関係で出た金が約二、〇〇〇万円位あると思っており、その二、〇〇〇万円位は五〇年度の税務申告に際して何とか取り戻して穴をうめたいと考え、申告期限が近づいてきた五一年二月下旬から三月初旬にかけた頃病院内事務所の江頭事務長の机のところで私から江頭事務長に五〇年分の申告にあたっては自由診療収入の方から二、五〇〇万円ないし三、〇〇〇万円位を抜いておいてくれるようにお願いしそのとおりやってくれているものと考えていました。

〈4〉 その他に私達家族の一年間の生活費とか小遣い銭、さらに岡本親子や西峯親子の生活費等として渡したお金も相当金額にのぼっていることもよく分かっていましたし預金の関係を見ましても五〇年中に堺市信金登美丘支店で仮名の定期預金にしたのが約一、一〇〇万円、また尼崎浪速信金上野芝支店に頼まれて同じく仮名の定期預金にしたものが約六五〇万円あることも大体頭に入っていました。

このようにいろんな金の使い道や仮名定期預金にして残した財産や江頭事務長に頼んで自由診療収入を抜かせたことなどをあれこれ考えあわせた結果先程申したように申告書に書き出した所得金額の約一、三八〇万円というのは実際の所得金額をかなり下回るものであることは私にもよく分かっていました。

その意味から五〇年分の申告が正しいものでないことは十分承知していましたし大変申し訳ないことをしたと思っております。

〈5〉 大阪国税局の方で五〇年分の私の所得を調査されたところ実際の所得金額が約一億四、九七〇万円であり、従って過払税金の還付請求の申告をした分を含めますと約九、三〇〇万円にのぼる大きな脱税をしたことになっているようですが正直に言って五一年三月の申告当時にそれだけ大きな所得があったという風には思っていませんでした。

さらに右〈1〉〈2〉の点について、同年三月九日付検面調書には

〈6〉 昨日の調書の中に昭和五〇年分の所得税申告にあたって、実際にあったと考えられる所得よりも下回る所得金額を申告書に書いて申告の手続をとった旨の私の供述記載がありましたが、このように実際の所得金額を下回るもので申告したことは間違いありませんし、その意味からそれが正しい申告でないことは私にもよく判っていました。

ただ昨日の調書にはその点に関して申告をごまかすものであることが判っていたという趣旨のことを書かれましたが、申告をごまかすというのは表現がきつすぎるように思えてなりませんので、この点は正しい申告ではなかったという風に表現方法を改めていただきたいと思います。

〈7〉 それから最後になりましたが、昨日の調書で五〇年分の申告当時において約五、〇〇〇万円から六、〇〇〇万円位の所得があったように自分の頭の中で大ざっぱな計算ができていたと申し上げ、そのとおりの調書になっていますが、所得というものについて、一部私が錯覚していましたから、本日の調書で実際の所得が約四、〇〇〇万円位はあると考えていたというように、金額を一部訂正させていただきたいと思います。

との各記載がある。

(二) 右検面調書供述の問題点について

(1) 前記〈1〉および〈6〉の供述記載は、過少申告である旨の認識を示すものであっても、「偽りまたは不正の行為」により申告をごまかそうとする意思があったということを認めたものではない。〈6〉の供述が特にその点についての訂正を求めているのも、被告人の真意を示しているというべきである。

(2) 前記〈2〉は、本件申告当時、昭和五〇年の実際所得がどれ位あったという認識を示す供述部分であり、最も重要な部分である。そしてここでは認識していた金額は「約五、〇〇〇万円から六、〇〇〇万円近くの所得があったのではなかろうか」という極めてあいまいな数字を挙げるにすぎない。しかも、右数字は翌日の供述で前記〈7〉のとおり「所得というものについて一部私が錯覚していた」という理由で四、〇〇〇万円に訂正してくれというのである。

しかも右金額の認識については、

(ア) 昭和五〇年中に個人の所得がどれ位あったものか正直な金額を自ら計算したり、また江頭事務長らにその計算をやらせたわけではないので、十分な認識がなかったこと

(イ) 自分の頭のなかで大ざっぱな計算をした範囲で計算したものであること。

の二つの留保条件がついているものである。さらに、その翌日には、「所得というものについて一部錯覚していた」ことを理由に金額を四、〇〇〇万円にしてくれというのである。しかも、一部錯覚というのは、どの部分に、どのような錯覚があったのか、具体的な事実の記載はなく、勿論これによる減額分一、〇〇〇万円ないし二、〇〇〇万円の算出根拠について何らの説明がないのである。

いやしくも検察官に前日供述した金額を変更する供述をするのに、単に「一部錯覚をしていた」という抽象的な理由で、検察官が容易にこれを信用して、供述の訂正に応ずる筈もないと思われるから、「錯覚していた」点についての具体的な供述も求めなかった筈はないのに、右調書には、この点について何らの記載はない。

(3) 前記〈3〉は、前記〈2〉の五、〇〇〇万円ないし六、〇〇〇万円という認識の根拠の一つとして、いわゆる加藤経費を自由診療分から差引いた点を述べたものであるが、この点は前述のとおり三月一三日夜加藤の指示により二、四〇〇万円を減算した事実に関する供述である。しかし、右供述記載は極めて不正確であり、具体的事実と食違う供述となっている。その主な点を挙げると

(ア) 右検面供述によると「二月下旬頃江頭に対し自由診療分から二、五〇〇万円ないし三、〇〇〇万円位を抜いておいてくれるようにお願いしそのとおりにやってくれているものと考えていた」旨記載されている(この点については三月九日付検面二項の末尾で「あるいは三、〇〇〇万円位と申しあげたかも分かりません」と供述している)。しかしながら事実はそうではなく江頭は三月一三日夜院長室に持参した自由診療収入については、何ら手を加えない正直な数字をもってきていたのであり、その場で加藤の指示により二、四〇〇万円を減算したものであることは、本件の証拠調べの結果明らかである。被告人の認識は右のとおり加藤経費二、四〇〇万円を自由診療収入から抜いたというものであるから、二、五〇〇万円ないし三、〇〇〇万円位を抜いているものと思っていたというような供述が出てくる筈がない。

(イ) また申告当時江頭が自由診療収入から二、五〇〇万円ないし三、〇〇〇万円を抜いたという事実はなく、申告後五月頃迄の間に自由診療収入のうち約二、〇〇〇万円位を入院収入に振替えるという作業をしたにすぎないのである。

右に指摘したように、この点についての右検面供述は、客観的事実と喰い違う不正確極まるものであり、事実関係を正確に把握しないまま検察官が勝手に右のような供述記載をした疑いが極めて強いものというべきである。

(4) 前記〈4〉の供述記載は、極めて不可解である。

右の部分は、昭和五〇年度の所得は五、〇〇〇万円ないし六、〇〇〇万円であったという前記〈2〉の認識を前提とし、〈3〉の二、五〇〇万円ないし三、〇〇〇万円との差についてその根拠を説明しようとする部分である。しかしながら、この部分は全く検察官の作文というほかないと考えられるのである。

(ア) 昭和五〇年の申告は勿論損益計算についてなされているのであるから、その損益計算の過程において、どのような点に過少の申告があったというのかという点についての説明でなければならない筈である。その意味で前記〈3〉の供述は一応うなづける。しかし〈3〉と五~六、〇〇〇万円との差すなわち残りの二、五〇〇万円ないし三、〇〇〇万円が過少であるという認識の根拠として、突然、損益計算とは全く無関係な事実を引張ってきて、右の認識の根拠にしようとするもので、論理的に全く辻妻の合わない供述である。

(イ) 家族の一年間の生活費や、岡本、西峯の生活費が一ヶ月いくらで年間いくら位かかっていたのか、被告人がこれを認識していたという証拠がないばかりか、年間の所得一、三八〇万円(本件申告所得額)の範囲では生活ができなかったという事実についての供述もないのであって、右二、五〇〇万円ないし三、〇〇〇万円の過少申告の理由とは全く無関係な事実の供述というほかはない。

(ウ) さらにおかしなことは、右供述によると預金の関係をみても、五〇年中に堺市信金登美丘支店で仮名の定期預金にしたのが、一、一〇〇万円、尼崎浪速信金上野芝支店の仮名定期六五〇万円があることが、右脱税額の認識としての五、〇〇〇万円ないし六、〇〇〇万円の根拠となっているというのである。

しかし、昭和五〇年の申告において、被告人は、財産増減法で所得額を算出したのではない。損益計算法で所得を算出しているのに、過少申告の理由として資産増減法で計算しなければ問題となりえないような仮名定期の存在が、過少申告額の計算根拠として出てくる筈がない。また仮に出てきたとしても、それらの仮名定期は、理論上は、前記自由診療分から抜いた二、五〇〇万円ないし三、〇〇〇万円の脱税分から作ることも可能なのであり、これとは別個に過少申告の原因となりうる必然性はないというべきものである。

また、堺市信金登美丘支店の石村梅子名義の預金は、被告人は一貫して右預金は石村梅子のものであり自分のものではないと主張していたものであり、原判決もこれを認めているのである。

さらに、尼崎浪速信金上野芝支店の定期預金六五〇万円についても、被告人はうち二五〇万円は村田高秋からの借入金返済分であり、四〇〇万円は同人に対する退職金であると主張しており、その主張は原判決もこれを認めている。

したがって、右何れの観点からみても、右二口の定期は、昭和五〇年度における過少申告ないし脱税額五、〇〇〇万円ないし六、〇〇〇万円の根拠の一部とはなりえないものであることは明らかである。またもしこれらの事実が仮に右五、〇〇〇万円ないし六、〇〇〇万円の根拠として述べられたとすれば、それは検面供述の際の認識を述べるものというべきである。すなわち、このような財産の増減についての認識は、本件捜査の段階で、はじめて取上げられて、被告人の認識の中に逐次とり入れられてきたもので、申告当時に於ては、全く認識の範囲外にあったものである。したがってこれらの認識に基く供述は、申告当時の被告人の認識についての供述ではないというべきである。

(三) 以上の検討により明らかなとおり、本件申告当時、被告人が、実際の所得が四、〇〇〇万円くらいあった旨の検面供述は、何らの合理的根拠に基くものではなく、かつ、検察官にそのような供述をしたのは、検察官の取調を受けた時点における認識にすぎないことが明らかである。

6 加藤経費二、四〇〇万円の除外の犯意が、過少申告により免れた所得税額全部に及ぶとする判断の誤りについて

原判決は逋脱の犯意の及ぶ範囲につき言及し、

〈1〉 被告人は病院事務所で管理する経理を統括していたほか、自ら収入の一部を直接管理し、さらに資金繰りについても、自らが直接行うなどしていたもので、病院収支についておおむね把握していたことが認められること

〈2〉 昭和五〇年分の実際の総所得額金額が一億円を超える多額なものであること

〈3〉 前記2の〈2〉のように査察官や検察官に対し犯意を自白する旨の供述していること

の理由を挙げて

〈4〉 被告人は本件申告にかかる総所得金額一、三八三万九、二三二円が実際の総所得金額より著しく過少の金額であることを承知していたと認める。

としたうえ、そうだとすると、被告人は、右申告にかかる総所得金額以上の所得金額については、申告の意思がなかったものであり、被告人の本件所得逋脱の犯意は、収入の一部除外を指示した二、四〇〇万円の所得金額についての所得税に限らず、本件過少申告により免れた所得税額全部に及ぶ。

との判断を示している。しかしながら右判断は次に述べるとおり、明らかに事実を誤認し、かつ法律解釈の誤りを犯すものである。

(一) 前記〈1〉の認定について

(1) 被告人は病院事務所で管理している経理を統括していたとの認定については、統括の意味並びに内容が問題とされなければならない。

被告人の昭和五一年九月一七日付質問てん末書(検九二号)の問六の答によると、「加藤俊雄が入ってからは、被告人は、帳簿を見なくなり、税務関係は、約一〇年前から右加藤に全部依頼していたこと、税務申告に当っては、事務室で作成した資料と、被告人の管理下にある資料をそれぞれ加藤に渡し検討して支出計算書を作成して貰い、事務所で作成した収入金明細書とをみて、被告人が申告書を提出日の朝に清書し、税額までの計算をしていた」旨の供述記載がある。

(2) また、昭和五一年九月二九日付質問てん末書問二の答によっても、右と同様の供述記載があり、昭和五〇年度以前の申告においても、被告人は、実際の収入金がいくらで、実際の経費がいくらで差引き利益金がいくらになるということについては、総て加藤に任せていたのが実情であることが述べられている。

(3) なる程病院建築の資金繰りとか、薬品の購入、医師への簿外給与の支払など一部の経理については、被告人が一部タッチしてこれを管理していた部分もあるが、しかしそれだけで総収入がいくらで、総経費がいくらになるかということを把握することは到底困難なことは、少しでも経営に携わったことがあれば誰しもが肯定しうるところである。特に病院においては、保険関係の収入が大半を占めるのであるから、その請求事務を直接担当し、あるいはその収入を直接管理するのでなければ、収入の総額の把握は到底困難である。特に、ある年度の所得税の対象となる所得額が幾らになるかということは、減価償却や棚卸し等複雑な計算の結果でなければ分らないのであるから経理には全く経験がなく、かつ毎日多忙な診療に追われていた被告人が、直接そのような計算まで把握することは困難であったことは、一見明白である。

このような繁雑な経理計算や、税務申告の繁鎖を免れたいために加藤に高額の金を支払っていたのである。

(二) 前記〈2〉の認定について

(1) 昭和五〇年度の実際総所得が幾らになるかということは、本件における最も重大な争点である。原判決は一億円を超えると認定するけれども、その計算結果はいわゆる財産法によるものであり、かつ、後に二項以下で指摘するように、多くの問題点があり、到底信を置くに足りぬ額である。弁護人の損益法による計算によれば、最終の差引所得額は、金二二、七九三、三七七円となる(昭和六二年六月三〇日付訂正申立書一項)のであり、約八千万円の差があるのである。本件申告にかかる所得金額は、一、三八三万九、二三二円であるが、これは、本来明白な誤算である一、一〇〇万一、二〇〇円を加算訂正した金額すなわち、二四、八四〇、四三二円となるべきものであり、右違算に気が付いておれば、当然右二四、八四〇、四三二円の申告となっていた筈のものである。

そうだとすれば、弁護人が原審で算出した損益法による計算結果を上廻る所得を申告していたことになるのである。

(2) 一審並びに原審に於て、弁護人は収入明細書を作成し、その計算結果はすべて本件において病院から押収された証拠によって裏付けられた。その総額は五六四、四三五、四〇七円である。右金額は査察官が査察の段階で計算した調査報告書(昭和五二年二月一〇日付丸尾信一作成)弁五八号証の計算と、その合計額で三、一一六、六三二円の差があるに過ぎず、しかもその差の生じた理由は逐一説明可能なものである。このことは昭和六二年一月二九日付控訴趣意補充書(二)に記載のとおりであり、同書面末尾添付の比較一覧表をみれば(念のため末尾にその写を添付する。)査察官作成、弁護人作成の各P・Lの収入計算と申告書記載の金額との差が極めて明瞭に浮び上がってくる。すなわち、この三者の計算結果で大きく違ってくるのは、自由診療収入の項目のみである。

自由診療収入については、査察官P・Lの数字と申告書記載の数値との間には四一、八七六、九七一円の差があるが、その差はつぎの理由によって発生した。

(ア) 二四、〇〇〇、〇〇〇円……三月一三日夜収入から除外した

(イ) 三、一一六、〇二三円………雑収入が全額計上洩れになったが、これは江頭事務長のケアレスミスによる計上洩れである(原審六回四一丁以下)

(ウ) 差額一四、七六〇、九四八円中一一、八三三、〇七〇円は、自賠責収入中昭和五〇年度の未収入金の計上洩れと考えられる(昭和五三年三月一八日付質問てん末書添付の別表六及び原審第六回四丁以下の供述参照)。

したがって、本件申告に当って、収入の面では、別途除外した二、四〇〇万円を除くと、右の雑収入の計上洩れと、自賠責収入中昭和五〇年中に現実に入金になったもののみを計上し、未収入金が計上洩れとなったことによる過少計上一七、八七六、九七一円があるのみである。

(3) 損益計算の結果計上された支出合計(弁護人P.Lによる)は、昭和六二年六月三〇日付補正申立書記載のとおり合計五四一、六四二、〇三〇円である。これに対し申告書の経費合計額は、五〇五、八三七、九二三円である(ただし正確に計算すれば四九四、八三六、七二三円である)から三五、八〇四、一〇七円の過少計上となる。

したがって、右収入の過少計上分四一、八七六、九七一円と、経費の過少計上分三五、八〇四、一〇七円を相殺すれば、その差は六、〇七二、八六四円に過ぎないことになる。

(4) したがって、財産法による計算の結果一億円以上の実際所得があったという認定には多大の疑問があり、少なくとも右損益計算の当否との検討がなされたうえでなければ、容易に右財産法による結果を信用することができない筈である。

本件において、弁護人が損益法による計算結果との検討を必要とすると主張し財産法による計算結果が損益法により正しく算出された結果を上廻ることのない保証がなければならないと主張する実質的根拠はまさにこの点にあるのである。

(5) したがって、財産法により一応算出された結果に基き、実際所得が一億円以上あることを前提として、被告人の認識を判断することは、大きな誤りを犯すことになると考える。

(三) 前記〈3〉の認定について

右認定の証拠としてあげる質問てん末書、検面調書の供述記載が信用できないことは、すでに指摘のとおりである。

(四) 原審提出の弁16号ないし19号証によっても、明白な通り病院経営の実際所得金額は、当該年度中の医療収入の五パーセントが限度であり、これを大きく上廻ることはないのが常識である。本件申告書の収入合計額は五一七、一三五、七六五円であるから、申告時点において、被告人の頭のなかでは、右金額の五パーセントすなわち約二、五〇〇万円程度の所得が想定されることはありえても、その四倍以上の一億円以上もの所得がありえようなどとは到底想像しえないところである。

もし、昭和五〇年度の実際所得が原判決のように一億円以上あったというのであれば、昭和五〇年度のみは、総医療収入の約二〇パーセントにも上る所得があったことになるが、昭和五〇年度だけが、このように利益率が突出する理由は全くない。

少なくとも被告人がそのようなことを認識していたと認められる証拠は全くない。

(五) したがって、本件申告当時において、申告書記載の所得金額が著しく過少の金額であることを承知していたと認定することは、明らかに事実を誤認したものということができる。

しかも、原判決は、さらに被告人右申告にかかる総所得金額以上の所得金額については申告の意思がなかったと認定しているのであるが、この部分の認定は全く証拠に基かない認定というほかはない。被告人としては正しく計算された結果が申告所得金額となったとの認識の下に、右申告をなしたものであるから、右金額以外の所得を申告する意思がなかったということができても、右計算の結果に違算があったり、あるいは不注意により収入計上洩れがあっても、敢て右申告額以上の金額は、申告する意思がなかったことを示す何らの証拠もないのである。右の部分に関する原判決は、証拠に基かない認定であり、事実誤認の違法があることは明らかである。

(六) 収入から二、四〇〇万円を除外したことについては、被告人は一審以来一貫して、これは、加藤経費が経費として認められ、これを経費として計上するかわりに収入から差引いても結果として所得金額に差異を生じないから許されると解していたから、この点についても、逋脱の犯意はなかったと主張してきたところである。しかしながら右二、四〇〇万円は正当な経費とは認められず、かつこれを収入から除外することは許されないから、右二、四〇〇万円の除外については、犯意を阻却しないと仮定しても、被告人の犯意は右二、四〇〇万円の範囲に限局されるべきであり、これをもって、他の原因による過少申告の結果についても、すべて右犯意が及ぶと解することはできない。そのような解釈は余りにも便宜の考え方であり、犯意の及ぶ行為のみを処罰しようとする刑事法の大原則をふみにじるものである。

昭和五一年三月一三日夜被告人と事務長とが、申告の資料を持寄って、収入明細及び支出計算書を作成した時は、収入合計から二、四〇〇万円を除外したことについては、被告人に認識があったことは明らかである。しかし、収入明細について、雑所得が洩れていたこと、あるいは、自賠責収入の計算に、未収入金が洩れていたことについては、被告人はもとより、江頭事務長も、水越隆義(自賠責計算の責任者)も右の点については、全く気がついていなかったものであり、これらは、被告人を補佐すべき者の不注意により過少の申告となったにすぎないものである。また支出計算書についても、各勘定科目の算出に当って、特に、故意に支出額を増額したりした事実は認められず、支出明細の作成について、被告人に逋脱の意思のもとに何らかの作為をなした点について認識があったことを認めるに足りる証拠はない。唯、加藤俊雄が、自宅に持ち帰って、被告人扱いの経費を勝手に各勘定科目に割振った結果、各勘定科目ごとには過大な計上がなされたものもあるが、その反面過少の計上もあり、総計としては、むしろ過少の計上となっていることは前述したとおりである。

しかも、加藤の計算違いがあり、この点についても、被告人は、全く気がつかないまま、清書をしたにすぎないことも前述したとおりである。

このように、本件申告にあたっての被告人の所為を検討すれば、右二、四〇〇万円の除外の意思は認められるものの、他の収入、支出の計算について、逋脱の犯意を認めるに足りる事実ないし証拠は全くない。よって、仮に右二、四〇〇万円除外の点に逋脱の犯意を認めるとしても、その余の部分に、逋脱の犯意を認め難いことは明らかであり、原判決のこの点に関する認定判断は明らかに誤りである。

収支計算比較表

〈省略〉

二 現金について

1 原判決は、弁護人の期首現金のうち被告人個人が管理していた手許現金は、五〇〇万円あるいは少なくとも三〇〇万円であったのに、これを二〇〇万円と認定した第一審判決は、事実を誤認したものであるとの控訴趣意に対し、次のとおり判示してその主張を排斥した。

そこで検討するに、原判決挙示の関係証拠によれば、原判決が期首現金のうち被告人が管理していた手許現金を二〇〇万円と認定したことを肯認することができ、また原判示(原判決の判断の第三の一)の右認定の理由も、おおむねこれを首肯することができる。なお、所論にかんがみ付言するに、被告人の昭和五二年一月二六日付質問てん末書添付のメモ中、昭和四九年一二月三一日現在の被告人管理の手許現金欄には、三〇〇万円の記載が抹消されて二〇〇万円に書き改められて訂正印が押なつされているところ、所論は、これは被告人が査察官(収税官吏)の最初の指示により記入した三〇〇万円をさらに二〇〇万円に書き替えるよう指示されて訂正したものであると主張し、被告人も原審公判廷において右主張に沿う供述をするのであるが、そのような主張及び供述がなされるより前の原審第一〇回公判において弁護人が陳述した補充意見書(昭和五六年一月二六日付)では、認否を留保していた期首現金高につき、被告人管理の手許現金が二〇〇万円であることを含めて検察官主張の金額を認めており、被告人もこれと異なる意見を何ら述べていなかったことに照らすと、右主張及び供述にかかわらず、右被告人管理の手許現金が二〇〇万円であった旨の捜査段階における供述は優にこれを信用することができ、これに反してその金額が五〇〇万円であったとする被告人の原審公判廷における供述は信用することができないというべきである。そして、その他所論が縷々主張するところを検討しても右判断を左右するに足らない。

したがって、原判決の期首の認定に所論の事実誤認は存しない。

2 原判決は要するに、本件期首にあたる昭和四九年一二月三一日現在の被告人管理の手持現金について、被告人は昭和五二年一月二六日付質問てん末書作成時点においては二〇〇万円と答え、第一審公判においてこの点につき意見を留保したのち第一〇回公判期日の昭和五六年一月二六日には検察官の主張する右二〇〇万円を認めているので、捜査段階の供述は優に信用できるというのである。

なお、原判示では取上げていないが、被告人はその後第一審第三二回公判において、「五〇〇万円と主張する根拠は、ハッキリと資料があるということじゃなくて、その当時それくらいは現実に手持現金として持っておったという信念で申し上げているのです。」と供述している。

原判決は、前記のような単純な理由で控訴趣意を排斥しているが、その背後は財産増減法による立証に必要とする要件を無視し、捜査・調査段階で作成された貸借対照表中の現金について物的証拠が存在しない場合、通常どのようにしてその金額が確定されていくかについての認識を欠いていることが窺われ、ひいては被告人のその場限りの供述によってこれを認定しようとしたものである。

この点については第一審の弁論及び控訴趣意書においても次のように詳細に指摘しているところである。

(一)財産増減法による立証を目的とする捜査において、捜査官が最も難渋するのが簿外現金及び簿外たな卸の金額確定である。

その理由は客観的にこれを確定する資料がないか、たとえあってもこれによって金額を確定できるほどの有力な資料が乏しいことからおのずから被疑者の供述に頼らざるを得ず、しかもそれは三年以上も以前の一時点における手持現金や在庫量を単なる記憶によって述べさせることになるからである。

従って捜査官が真実発見に良心的にかつ真摯に取組もうとするには供述者に十分塾考の時間を与え、できる限り正しい記憶を蘇らせるようにすべきであり、供述者の主張する額が他の状況に比して不合理ではなく供述者において期首現金の額を故意に多く主張したり、期末現金の額を故意に少く主張して増差所得の減少を図ろうとするような意図が見受けられないかぎり、その供述内容は体験者の供述証拠として尊重されるのが筋道である。

(二)本件における現金勘定の争点は、昭和四九年一二月三一日現在における被告人管理の現金のうち、手許現金の額について検察官は被告人の質問てん末書(一〇五、問九)を証拠として二〇〇万円を主張される。これに対し、被告人は第一審における被告人質問にあたり、当時の状況やその後の供述を回顧し検討した結果、実際は五〇〇万円が正しく、右質問てん末書に添付されているいわゆる現金有高表は被告人作成とはなっているが、池田査察官が作成して来た原稿を引写しさせられたものであって、この表でさえ、昭和四九年一二月三一日現在の手許現金額を当初三〇〇万円と記載されていたのが何ら理由もなく二〇〇万円に書き変えさせられ、訂正印を押捺させられたものであると述べている。

検察官はその論告において被告人の右主張に対し、被告人が供述しないかぎり査察官は推定のしようがないのであるからその主張は信用できないといわれる。(三丁)

果してそのように単純に言い切れるであろうか。

(三)本件査察強制調査は、昭和五一年九月二日に行われ、前記一〇五の質問てん末書は、翌昭和五二年一月二六日に作成されているが、それまでに作成された一四通の質問てん末書では期首手持現金については全く触れていない。

このことは洵に奇異に感じられるところである。

これより約半月前に作成された同年一月一二日付質問てん末書では

問五 あなたはあなたの所得金額を計算する際、収支計算によるか資産負債の差額によるかいずれかの方法が合理的と思いますか。

答 私の場合、事務所で管理している分と私が管理している資金の動きが別々であり事務所で管理している収支は正しく処理され記録されていますが、私が管理している分につきましては断片的な記録のみで、継続して記録を残しておりませんので収支による方法よりもむしろ資産から負債を引いた方法による方が合理的であると考えます。

の問答があり、従来行われて来た損益計算法を主軸とする質問の形態がこの時点において急遽財産増減法を主軸とする尋問の形態に切り替えられていることが見受けられる。

当時の被告人は経理会計に関する知識は皆無といってよく後の昭和五四年三月における検察官の取調当時ですら減価償却費を利益と解釈していたほどである。

さきの一〇五の被告人の質問てん末書に次いで作成されている一〇六の質問てん末書の問四には、「当局が調査した結果四八年分の所得金額については、資産から負債を差引きした金額より収益から経費を差引いた金額の方が少なく、(註B/Sによる所得の方がP/Lによる所得よりも多い意)四九年五〇年分の所得金額については、資産から負債を差引いた金額の方が収益から経費を差引いた金額よりも多くなっていますが(註この場合もB/Sによる所得の方がP/Lによる所得よりも多い意となる)説明して下さい。」とあり、このように査察官自身が混乱して問を発しているくらいであるから被告人がこれに対して正常な答弁をすることは不可能であったといえる。

以上の経過から考えると本件期首における被告人の手許現金に関する調査段階における供述は信用し難く、公判廷における供述に従って五〇〇万円と認定すべきが妥当であり、検察官主張の二〇〇万円と認定することは許されない。

蓋し、税務上所得金額の正確な計算方法は損益計算法によって行い貸借対照表によって験算するのが妥当と解せられるところから財産増減法は損益計算法と並んで所得立証のひとつの手段ではあるが財産増減法においては推定計算は許されず被告人の実際所得金額が少なくともこれ以下ではないという最少限度が算出認定できない限り、その立証は十分とは言えないからである。

(四)原判決は、右弁論に対する見解を示さず「被告人の供述を抜きにして査察官がメモを作成することは到底考えられず」とか「被告人の捜査段階における供述は、他期との比較においても合理的であり十分信用するに足る」と判断している。

しかしながら原判決は、この種事件の調査過程において査察官がどのようにして現金有高を定めて行くかについての認識を全く欠如するものであって、前記質問てん末書(一〇五)末尾添付の昭和五二年一月二六日付村田政勇作成名義の「大野芝診療所及び南堺病院に関する現金有高については次のとおりです。」と書かれた一覧表を見ても、そのうち物的証拠などによって確定できるものは「窓口釣銭用」及び「自賠責収入による封筒に入れたもの」だけで、他はすべて被告人の供述によることが明らかであるが、このような供述は査察官が他の勘定科目の金額が概ね確定した段階で、一応の金額を仮定したうえ被告人に答えを求め、その答えが査察官の思惑と大きく異なるときは、自己の数字を押しつけるようなことは他の事案でよく見受けられるところであって本件においても被告人の供述によれば、昭和四九年一二月三一日現在の手許現金は、最初の指示によって記入した三〇〇万円をさらに二〇〇万円に書き変えを命ぜられたというのであり、右一覧表をみるとなるほど被告人の言うとおり書き変えられ、被告人の訂正印が捺されていることがわかる。

しかも、手許現金は、右変更の結果昭和四八年一月一日も、同年一二月三一日も、昭和四九年一二月三一日も年末手許現金を二〇〇万円とするような慣行があったわけでもないのに、一律にすべて二〇〇万円ということになっており、これが査察官や検察官の主張の根拠となっているのである。

被告人は、検察官から手許現金有高を尋ねられたとき、正確には覚えていないが昭和四九年末はかなり多かったと答えたところ、そんな筈はないと押問答となり、最終的には池田査察官が自ら作った表にパズルの枠を埋めていくように書き込んで行き、これを被告人に写させたもので、一〇〇万円単位で書き込むようなことは査察官が考えたことであるというのである。

これでも、「被告人の供述を抜きにして査察官がメモを作成することは、到底考えられず」とか「被告人の捜査段階における供述は、他期との比較においても合理的である」と言えるであろうか。

原判決は、あまりにも捜査段階における供述を信じ過ぎるきらいがあり、公判審理も捜査段階の再現復習の範囲を出ようとしなかったところに前記のような事実誤認の根源が存するものと思われる。

而して本件における期首手許現金は被告人の原審公判廷における供述どおり五〇〇万円或いは少なくとも一覧表書き替え前の三〇〇万円と認定されるべきである。

3 国税査察官丸尾真一作成の昭和五二年二月二〇日付調査報告書(総勘定元帳・貸借)(検甲四の一)の現金在高は次のとおりである。

〈省略〉

そして右認定の証拠として、被告人の質問てん末書(五二、一、二六付)及び空封筒三綴が掲記されている。

右の表によると、現金残高は昭和四八年一月一日現在と同年一二月三一日現在は合計額のみならず、各内訳の金額が全く同額であり、また窓口釣銭用と会計保管分は四年間続いて同額、村田政勇手元現金は三年間続いて同額である。

右のような事実は、日々現金の出入のある事業にとって全く奇異な現象である。それは人為的にひねり出した数値を並べているからに外ならない。数字をひねり出した査察官にいわゆる実額の根拠となるべきものがないし、このことは質問を受ける被告人側においても同様である。

このような曖昧なものの中で、昭和四九年一二月三一日現在の被告人の手元現金について一旦三〇〇万円を記入されたものを、被告人に不利益に二〇〇万円と書き替えさせることは、昭和四七年一二月三一日現在、同四八年一二月三一日現在のいずれも二〇〇万円と確定している査察官の意向以外に何ら変更すべき合理的な理由は考えられないのである。

財産法においては各勘定科目の金額が実額によって算定することが必要であるのであるから本来前記のような査察官がひねり出したと思われる金額は到底実額とは言い得ず、それでもあえてこれを認定せんとするのであれば「疑わしきは被告人の利益に」の法理により、五〇〇万円あるいは少なくとも三〇〇万円と認定すべきである。

この点において原判決は判決に影響を及ぼすべき重大な事実誤認を犯している。

三 預金について

1堺市信用金庫登美丘支店の仮名分六口六〇〇万円

(一)原判決は、堺市信用金庫登美丘支店における六口の仮名定期預金金額合計六〇〇万円は、被告人に帰属するものではなく、村田ウメ子のものであるとの控訴趣意に対し、次のように判示してその主張を排斥した。

所論にかんがみ検討するに、原判決挙示の関係証拠によると、原判決が右仮名分の定期預金が被告人の設定したもので、被告人に帰属すると認定したことは、原判決の判断の第三の五の2において説示する理由とともにこれを肯認することができる。なお、右の理由を補足すると、原審証人寺口健夫の供述によれば、村田ウメ子は、本件仮名分設定以前に、被告人のものとは別に旧姓の石村梅子名義の定期預金を堺市信用金庫登美丘支店に設定していたが、いずれも新規のものとしては五〇~一〇〇万円ぐらいづつであり、一部現金による場合もあったが、大半は普通預金に溜めた分を振り替えていたものであって、本件仮名分として六〇〇万円もの現金をもって充てたことは、それまでの同女名義の定期預金の設定の仕方と流れが違うということであり、そのことも本件仮名分の定期預金が同女に帰属するものではなく、被告人に帰属するものであると認定すべき情況事実として評価できるというべきである。

所論は、被告人が、その検察官に対する昭和五四年三月八日供述調書において、「五〇年中に堺市信用金庫登美丘支店において発生している幸田栄次郎その他名義の定期預金が約一一〇〇万円程になりますが、これは私が病院の収入金中から定期預金にしたもので全部私の預金です。」と供述していることに関し、右約一一〇〇万円というのが石村梅子名義の分を含めどれを指しているか明らかでないから、本件仮名分についての自白として信用できない旨主張するが、関係証拠によれば、右供述にかかる幸田栄次郎その他定期預金約一一〇〇万円というのが、本件仮名分六口、すなわち幸田栄次郎名義分(八〇万円)、宇佐美茂雄名義分(一二〇万円)、河合一美名義分(一〇〇万円)、小寺安太郎名義分(一一〇万円)、大原弘名義分(七〇万円)、伊東三郎(一二〇万円)の六〇〇万円のほか、田中一二三名義分(一八〇万円)、中野美知名義分(一二〇万円)、辻河義己名義分(二〇〇万円)を併せた九口一一〇〇万円を指していることが明らかであるから、右供述は本件仮名分に関する自白として信用することができるというべきである。また、所論は、被告人は、村田弘子を通じて昭和五〇年七月一五日に白鷺郵便局に村田千雅名義ほか三口で合計五〇〇万円の郵便貯金をしており、それが本件仮名分に充てられたとされている堺市信用金庫登美丘支店の被告人名義の普通預金からの引き出し金五〇〇万円である可能性を否定できない旨主張するが、被告人の昭和五二年一月二六日付質問てん末書によると、被告人は、昭和五〇年七月の賞与資金の残額七八〇万円を岡本弘子(村田弘子)に保管させた旨供述しているのであり、これが右郵便貯金に充てられたと推認できるから、右郵便貯金をしていることをもって前記本件仮名預金の帰属の認定を動かすことはできない。その他所論を検討しても右判断を左右するに足らない。したがって、原判決の堺市信用金庫登美丘支店の仮名分六口六〇〇万円の帰属に関する認定に、所論の事実誤認は存しない。

(二)ところで第一審判決判示第三の五の2というのは次のとおりである。

検察官は、同支店の被告人名義の普通預金から五〇〇万円を引出して手持の一〇〇万円を加えて六口に分けて設定したものであり、いずれも被告人に帰属すると主張する。弁護人は、村田ウメ子は当時かなりの資産を有しており、しかも昭和五〇年七月一五日には店主貸とされている郵便貯金五〇〇万円が発生していることから考えると、当時被告人が医療収入から一一〇〇万円もの資金を定期預金に振り向けることは困難であって、右仮名分はいずれも村田ウメ子に帰属し、被告人に帰属しない旨主張する。

証人寺口健夫の当公判廷における供述によると、寺口が村田ウメ子から帯封入りの現金六〇〇万円を受取り仮名にしてくれといわれたので三回に分けて六口分の仮名を設定したことが認められる。

又、調査報告書(8)によると、同支店の被告人名義の普通預金から昭和五〇年七月一〇日五〇〇万円が引出されており、更に被告人の検察官に対する供述調書(114)によれば、その頃被告人が仮名を設定した旨供述していることを考えあわせると、被告人が右普通預金から引出した五〇〇万円に手持ちの一〇〇万円を併せて仮名分を設定したものと認めるのが相当である。弁護人主張の点は、いずれも推測にすぎず、当時村田ウメ子の資産から六〇〇万円出金されたものと認めるに足りる証拠は存しないのであるから、前記認定を左右するものではない。

従って、仮名分はいずれも被告人に帰属するものと解する。

(三)而して右に対する控訴の趣意は次のとおりである。

(1)昭和四九年一二月三一日現在高における検察官主張の定期預金のうち

堺市信金/登美丘(一)石村梅子名義(49・6・27設定一〇一五九二)

一〇〇万円

(二)石村梅子名義(49・9・28設定一〇二五七九)

五〇万円

(三)石村梅子名義(49・12・25設定一〇三六一五)

一〇〇万円

(四)石村梅子名義(49・8・1設定一〇二一二七)

一五〇万円

合計 四〇〇万円

は、被告人の預金ではなく、名義人の石村梅子(村田ウメ子)の預金である。

右のうち四は、昭和四七年七月設定された一五〇万円の定期預金が継続しているのもので、右預金利息は前記同支店における石村梅子名義の普通預金口座(口座番号〇二六〇〇六)に継続の度毎に預け入れられているのであるから被告人の預金ではなく、又(一)(二)(三)の各預金は検察官主張のように右石村梅子名義の普通預金からの払戻金をもって設定されているが、そのことが被告人の預金であることの証左となり得ないし、また同女が昭和四九年三月二三日同支店から借入れた五〇〇万円の行方が明らかでなく、その一部がその後前記(一)(二)(三)の同女名義の定期預金に変化した可能性もあるのでこの点からもこれらの預金が被告人に帰属するとの主張は全くその裏付けを欠くものである。

(2)昭和五〇年一二月三一日現在における検察官主張の定期預金のうち検察官主張の定期預金のうち

(イ)石村梅子名義(50・6・27継続一〇五八四二)

一〇〇万円

(ロ)石村梅子名義(50・9・29継続一〇六九〇三)

五〇万円

(ハ)石村梅子名義(49・12・25設定一〇三六一五)

一〇〇万円

(ニ)石村梅子名義(50・3・29設定一〇四八四二)

一〇〇万円

(ホ)石村梅子名義(50・7・1設定一〇五八六八)

一〇〇万円

(ヘ)石村梅子名義(50・8・1設定一〇六二二〇)

(ト)石村梅子名義(50・8・1継続一〇六一一九)

一五〇万円

(チ)石村梅子名義(50・9・29設定一〇六九四〇)

一〇〇万円

(リ)幸田栄次郎名義(50・7・11設定一〇五九八〇)

八〇万円

(ヌ)宇佐美茂雄名義(50・7・11設定一〇五九七五)

一二〇万円

(ル)河合一美名義(50・7・11設定一〇五九七八)

一〇〇万円

(ヲ)小寺安太郎名義(50・7・12設定一〇一〇二四)

一一〇万円

(ワ)大原弘名義(50・7・12設定一〇一〇二五)

七〇万円

(カ)伊藤三郎名義(50・7・14設定一〇六二〇六)

一二〇万円

は、被告人に帰属するものではなく、村田ウメ子のものであってその理由は次のとおりである。

(イ)の預金は、前記(一)の預金の継続でありロの預金は前記(二)の預金の継続であり、(ハ)の預金は前記(三)の預金の継続であり(ト)の預金は前記(四)の継続であるからこれらが被告人に帰属するものでない理由については前述のとおりである。

(ニ)(ホ)(ヘ)(チ)の各預金が前記石村梅子名義の普通預金口座からの払戻金から発生していることは認められるが、右普通預金は本来被告人に帰属するものでないことは、既述のとおりであって前年期中に発生した前記(一)(二)(三)の合計二五〇万円と右(ニ)(ホ)(ヘ)(チ)の合計三五〇万円を加えると六〇〇万円で、同女が昭和四九年三月二三日登美丘支店から借入れ行方が解明されていない五〇〇万円の元利が形を変えたものとの推測も可能である。

(リ)ないし(カ)の六口合計六〇〇万円の預金については、前記登美丘支店の得意先係であった寺口健夫は村田梅子から一度に現金六〇〇万円を受取り、表に出したくないとの同女の意向によって、金額を一定しない六口の架空名義定期預金口座を作り三日間に分けて設定した旨証言しており(第二七回)、前記豊田三枝は村田ウメ子が生前において、金額は明らかにしなかったがかなりの金員を隠し持っていたこと、同女の死亡後、同女が日頃使用していた整理ダンスの下のハカマの奥から定期預金証書を発見し被告人に手渡した旨証言しており(第二七回)被告人は右証言に符合する供述をしているほか右預金証書につき本名の定期預金は額面にして約七五〇万円位、仮名と思われる定期預金も約六〇〇万円位あったと供述している。(54・3・9付検面調書第三項)

而して前記(リ)ないし(カ)の預金六〇〇万円が発生した昭和五〇年七月一一日ころには被告人の預金のどこからもこれに見合うような払戻の事実はないばかりか、同年七月一五日には検察官が被告人の店主貸と主張されている白鷺郵便局における

村田千雅名義 二〇〇万円

村田弘子名義 二〇〇万円

村田聡名義 一〇〇万円

合計 五〇〇万円

の郵便貯金が発生しているのであって、被告人の医療業務における収入金の中から当時合計一、一〇〇万円もの資金を預金に振り向けることは損益計算法の観点に立っても勿論説明不可能である。

以上の理由により前記(イ)ないし(カ)の各定期預金は被告人に帰属するものではなく、村田ウメ子の所有である。

而して原判決は、弁護人主張のうち石村梅子名義のものについてはその主張を認め、前記(リ)ないし(カ)の六口六〇〇万円についてはその主張を排斥したわけである。

原判決は、右六〇〇万円は、村田ウメ子が堺市信金/登美丘の得意先係寺口健夫に対し、仮名預金にしてくれと言って帯封のかかった現金六〇〇万円を渡し、同人が三回に分けて六口分の仮名預金を設定したものであることを認めるとともに、右現金は同支店における被告人名義の普通預金から五〇〇万円が引出されていること、及び被告人の検面調書(一一四)にその頃被告人が仮名を設定した旨供述していることと合わせて、右引出しにかかる五〇〇万円に手持ちの一〇〇万円をあわせたものであると認定している。

而して、被告人の検面調書(一一四)では「五〇年中に堺市信金登美丘支店において発生している幸田栄次郎その他名義の定期預金が約一、一〇〇万円程になりますが、これは私が病院の収入金中から定期預金にしたもので全部私の預金です。」というのであるが、被告人の原審における供述によれば、右検面調書については、内容が事実と相違する点が多々あったので、中靏検事に対し増減変更の申立をしたところ「明日訂正してやる、いやしくも検事が約束を破ることはない。」というのでこれを信用し、翌日その訂正を求めたが訂正してもらえなかったというような事実があるばかりでなく、右検面調書の約一、一〇〇万円というのは前記(イ)ないし(カ)(合計一、三五〇万円)のうちどれを指しているのか明らかでなく、同調書では「全部私の預金です」との自白があるのに、原判決は(イ)ないし(チ)の八口合計七五〇万円については村田ウメ子の預金であると認定しているのである。

転勤を前にして事件の処理を急いでいた中靏検事が預金口座のひとつひとつを確認することもなく、強引に被告人に帰属するものと自白させたからこそ、自白偏重の原判決でさえ、石村梅子名義の(イ)ないし(チ)については自白を真実と認めなかったものと考えられる。

村田ウメ子は、昭和四年三月二日生(検甲一一七号)で昭和四三年五月二四日被告人との婚姻届出がなされているので、当時既に三九才であって、この時点までに同女が看護婦として蓄えて来た金員は相当多額であったものと考えられ(原審第二七回豊田三枝の証言)将来被告人との間に子供の出生を期待できなかった同女が右金員を大切に保存し適当な利殖を図ろうと考えていたとの推測は十分に可能である。

同女の堺市信金/登美丘における預金口座が昭和四三年五月二四日以前に開設されたものか、それ以後に開設されたかについて査察官は調査していないが、いずれにしても被告人と結婚後も旧姓の口座を使っていたことが右の推測を一層可能ならしめるのである。

村田ウメ子が昭和四九年三月二三日堺市信金/登美丘より金五〇〇万円の手形貸付を受けていることは明らかである。

しかし右手形貸付記入帳(検甲一三九号)によれば、債務者は石村梅子名義であり、保証人がなく同女の定期預金が担保に併せられている。

当時同女の定期預金として把握し得るものは、昭和四七年七月二七日設定の金額一〇〇万円四口と昭和四八年一二月二七日設定の一〇〇万円一口合計五〇〇万円(いずれも石村梅子名義)であってこれが右借入れの担保に併せられているのである。

そしてこれらの五口の定期預金は昭和四九年四月二日、中途解約され前記手形貸付金の返済に充当されているが、さきの同年三月二三日に貸付を受けた五〇〇万円については行方不明であって、被告人も全く知らない。

そうだとすると前記(リ)ないし(カ)の六〇〇万円は、村田ウメ子が、被告人の知らない資金を預金したもので、これらの預金証書が同女の死亡後整理ダンスの下のハカマから発見されたわけである。(弁護人作成の預金系統図参照)

他方、昭和五〇年七月一五日、村田弘子は被告人から受取った現金五〇〇万円を、白鷺郵便局において、村田千雅名義二〇〇万円、村田弘子名義二〇〇万円、村田聡名義で一〇〇万円に分けて預け入れていることが明らかであるから、もし原判決のいうように昭和五〇年七月一〇日引出した五〇〇万円が前記(リ)ないし(カ)の六〇〇万円の預金となったすれば、被告人が村田弘子に渡し、郵便貯金となった五〇〇万円はどこから都合したものか説明ができない。

また、被告人が尼崎浪速信金/上野芝で同年七月二四日、被告人名義で一〇〇万円、七月二九日、織田幸夫名義で一、〇〇四、四四〇円の各定期預金を村田高秋のため設定しているのであるから前記六口六〇〇万円の預金をする余裕があったかどうか疑わしい。

ただ、村田ウメ子が寺口健夫に六〇〇万円を渡した日が、五〇〇万円引出日である七月一〇日の翌日にあたる七月一一日であり、被告人が村田弘子に五〇〇万円渡した日は不明ではあるが、預け入れの日は五日後の七月一五日である点において疑問が抱かれるが、被告人が村田弘子に金を渡す日は引出日と必ずしも接着していなかったのであるから郵便貯金五〇〇万円と七月一〇日引出された五〇〇万円との結びつきを否定できる資料とはならない。

なお、被告人が仮名預金を設定するときは、必ず自ら銀行の担当者に直接申込みをしており、妻ウメ子に仮名預金設定の手続を代行させたことは一度もない。

以上述べたとおり、前記(リ)ないし(カ)の六口六〇〇万円の預金は村田ウメ子に帰属するものであり、少なくとも被告人に帰属すると認めるべき明らかな証拠がないのにこれを被告人に帰属すると認めた原判決は、事実を誤認している。

(四) 右によっても明らかなごとく、原判決は、第一審判決判示第三の五の2の説示に対する控訴趣意についてその当否につき具体的に判示しないで、いきなり右説示による理由が肯認できるとしたうえ、理由を補足するという論法をとっているのである。

財産法による所得計算において、その資産の中に被告人以外の資産が混入し、もしくは混入の疑いのある場合には、もはやその財産法に対する信用性の問題ではなくて、それ自体が所得額算出の機能を失ったものというべきである。

控訴趣意でも述べているとおり、村田ウメ子は、昭和四年三月二日生で、昭和四三年五月二四日被告人との婚姻届出がなされた当時、既に三九才であって、この時点までに同女が看護婦として蓄えて来た金員は相当多額であり、将来被告人との間に子供の出生を期待できなかった同女が右金員をもって有利な利殖を図っていたことは同女の堺市信用金庫登美丘支店の普通預金口座における多数回に及ぶ多額の預入によって推測できるのである。

特に注目すべきことは、被告人村田政勇名義の定期預金は満期日に継続する場合には元利金を併せて次の元本とする形態をとっているが、石村梅子名義の定期預金の継続の場合は、利息分は現金で支払を受け、さきの元本をもって継続しているところに差異が見受けられる。

第一審判決は右普通預金及び同支店における石村梅子名義の定期預金(昭和四九年一二月三一日現在の四口合計四〇〇万円及び昭和五〇年一二月三一日現在の八口合計七五〇万円)ならびに中谷澄子に対する貸付金三〇万円について、検察官がこれらはいずれも被告人の資産であると主張していたにも拘らず村田ウメ子の資産であると認定しているのである。

これだけでも検察官主張の財産法は被告人の資産以外の資産を混入しており、所得額算出の機能を有するものでないことが証明されているのである。

(五)弁護人はかような基本的見解のもとに、被告人の資産の移動増減にのみ目を向けないで村田ウメ子の資産の移動増減について検討する必要を痛感した。そして控訴趣意書において、前記のとおり同女が昭和四九年三月二三日堺市信金/登美丘より手形貸付によって貸付を受けた五〇〇万円の行方が不明となっていること、昭和五〇年七月一一日から四月一四日までの間に設定された幸田栄次郎外五名の仮名定期預金六〇〇万円(寺口健夫が村田ウメ子から手渡されたもの)と何らかの関連があることを指摘した。

同女は、昭和四九年三月二三日、五〇〇万円の手形貸付を受けた際、その担保として差入れた石村梅子名義の定期預金一〇〇万円五口を、同年四月二日中途解約をして右手形貸付を受けた五〇〇万円を返済している。

このことは手形貸付五〇〇万円に対する支払利息が、五〇〇万円の定期預金に対する受取利息よりも遙かに高利であるために同女がとった異例の措置と考えられる。

そして、石村梅子名義の定期預金は、昭和四八年一二月三一日現在六口合計六五〇万円であったものが、昭和四九年中に発生した三口合計二五〇万円を加えても同年一二月三一日現在では、四口合計四〇〇万円に減少し、前記手形貸付による五〇〇万円は同女の銀行預金や第三者に対する貸付金その他の資産として全く把握されず行方不明である。前記幸田栄次郎外五名の仮名定期預金六〇〇万円は、同女が右五〇〇万円を第三者に貸付け、銀行金利よりも有利な利殖を図っていたものが返還されて来たものと推測さぜるを得ず、そのことは寺口健夫が村田梅子から右金員を受領した状況とも符合するのである。

国税査察官の調査報告書、銀行調査元帳(検甲八号)によれば、前記幸田栄次郎外五名の仮名定期預金六〇〇万円は、被告人が昭和五〇年七月一〇日堺市信金/登美丘の被告人の普通預金から引出した五〇〇万円に一〇〇万円を加えて設定したものと記載されているが、これは右預金が被告人の預金であることを仮定したうえでの査察官の推測であって全く根拠のないものである。

右六〇〇万円の預金が村田ウメ子の預金でないというのであれば、前記手形貸付を受けた五〇〇万円については、同女の死亡後においてもこれに見合う資産が発見されていないので、最後まで把握されなかったということになる。

石村梅子名義の普通預金、定期預金が村田ウメ子のものであると確認できる本件において、同女の資産の移動・増減を無視して財産法による被告人の所得計算は不可能である。

弁護人が控訴趣意において、強く判断を求めたのはこの点であるが、原判決は、右のような客観的事実に対する判断を避け、国税査察官の勝手な推測やそのころ仮名定期をしたという被告人の供述(被人は昭和五〇年末田中一二三、中野美和、辻川義己の三口の仮名定期をしていることは事実であり、このことは被告人の認めるところであるが、幸田栄次郎外五名の仮名定期預金を被告人のものと認めたことはない)を無理に幸田栄次郎外五名の仮名定期預金に結びつけ財産法の脆弱性を宙に浮いた形式論で庇護しているものに過ぎない。

原判決の事実誤認は重大にしてかつ判決に影響を及ぼすものであることは明らかである。

2尼崎浪速信金/上野芝の仮名四口六五六万二四五円

(一)原判決は、右四口の定期預金は、本件期末においては、被告人に帰属し村田高秋に帰属するものでは

ないとする第一審判決を支持して、次のとおり判示している。

所論は、右仮名分の定期預金は、その設定当初から村田高秋に帰属するものであるのに、これが期末において被告人に帰属していたと認定した原判決には事実の誤認があるというのである。

所論にかんがみ検討するに、関係証拠によれば、原判決が原判決の判断第三の五の3において説示する理由により、右仮名分の定期預金が期末において被告人に帰属していたものであり、これが村田高秋のものとなったのは、昭和五一年二、三月ころ被告人がその定期預金証書を同人に渡したときであると認定したことを優に肯認することができる。

なお、付言すると、所論は、右仮名分四口は、被告人が自己の預金とする意図ではなく、村田高秋に対する退職金及び同人からの借入金の返済金の支払に代えて定期預金にしたものである旨主張するところ、当審証人村田高秋はこれに沿う供述をし、また被告人作成の供述書中にもこれに沿う供述記載があるが、右供述及び供述記載は、関係証拠によって認められる右仮名四口とも被告人が自らの借入金の担保に提供していたこと、村田高秋が被告人に金員を貸し付けたのは、昭和五〇年七月の一五〇万円と同年一一月の一〇〇万円の二回であるが、その各金額が本件各定期預金の設定金額と符合しないこと、また退職金の金額が本件各定期預金の設定金額とも符合しないことなどに照らし、いずれもにわかに信用することができないといわざるを得ない。

(二)本件控訴趣意は

(あ)織田幸夫名義(50・7・29設定 一一〇二一七三)

一、〇〇四、四四〇円

(い)織田正仁名義(50・9・23設定 一一〇二四五九)

三、〇〇〇、〇〇〇円

(う)鈴木和雄名義(50・10・27設定 三四〇〇五八九)

一、〇〇〇、〇〇〇円

(え)鈴木洋二名義(50・11・13設定 三四〇〇六〇〇)

一、五五五、八〇五円

の四口の定期預金は、被告人が自己の預金とする意図ではなく、村田高秋に対する退職金及び同人からの借入金の返済金の支払いに代えて設定したものであるというのであって、右事実の当事者である被告人と村田高秋は、本件調査段階以来その旨の供述をしているのである。原判決は体験者である両名の供述をあえて否定する根拠として、

(あ)右仮名分四口とも被告人が自らの借入金の担保に供していたこと

(い)村田高秋が被告人に金員を貸付けたのは、昭和五〇年七月の一五〇万円と同年一一月の一〇〇万円の二回であるが、その各金額が本件各定期預金の設定金額と符合しないこと

(う)退職金の金額が本件各定期預金の金額とも符合しないこと

を掲げている。

そのことは、少なくとも被告人が村田高秋より二回に至って合計二五〇万円を借り受けこれを返済すべき義務があったこと、退職金四〇〇万円を支払うべき義務があったことは認めていることになる。

しかしながら、借受金については返済期限が設けられるのが当然であり、昭和五〇年七月退職した村田高秋に対する退職金は、その時点において支払うのが原則である。

又、返済資金をどの資金の返済に充当するかについては、返済者が資金事情によって自由に決めることであるから、かりに一五〇万円、一〇〇万円の順で借りた際の返済を逆に一〇〇万円、一五〇万円の順で返済したとしても疑問を抱かるべきものではない。

さらに被告人は利息を考慮して一〇〇万円に対し一、〇〇四、四四〇円、一五〇万円に対し一、五五五、八〇五円をそれぞれ定期預金として返済したと言うのであって、この点についても債務者の自由意思の発言として決して不自然なものではない。

被告人はこのことをはっきりと村田高秋に説明し、同人は被告人に対し、同時妻と離婚調定中で、被告人から債務の返済や退職金の支払を受けたことが妻にわからないようにするため、これらを仮名定期預金にしておくよう要望し、被告人はその要望に従って前記のように仮名定期預金としたものである。

当時被告人は堺市高倉台に現住居を建築中で、その資金としては住宅金融公庫より約五百万円及び尼崎信用金庫より約五八〇万円を借入れており、これに対する担保として差入れるべき不動産がなかったので、村田高秋に支払うべき返済金及び退職金を同人の了解を得て同人所有の仮名定期預金とし、その預金証書を借受けて同金庫へ担保として差入れていたのであって、昭和五一年三月、被告人の現住居が完成した段階で、これを担保として右預金証書と差し替え返還を受けた預金証書はそのまま村田高秋に返還しており、勿論右各預金の当初からの利息はすべて村田高秋が受領しているのである。

以上のような被告人と村田高秋の現実の体験を排斥した現判決の論拠は全くの空論に過ぎず、事実誤認は明らかである。

四 天野文雄に対する貸付金及び利息について

1原判決は、被告人は天野文雄に対する貸付金一、一〇〇万円及びその利息につき、昭和五〇年一〇月一一日債務免除をしたので、期末においてはその元利とも存しないのにこれを存するものとした原判決には事実の誤認があるという控訴趣意に対し次のとおり判示してこれを排斥した。

所論にかんがみ関係証拠を検討するに、原判決が原判決の判断の第三の七の1において説示する理由により所論と同旨の債務免除の主張を排斥したことは、優にこれを首肯することができる。なお、所論にかんがみ付言するに、所論は、本件貸付金の元利金債務の免除につき、天野文雄と被告人の間において、昭和四九年二月ころから交渉が始まり、昭和五〇年一〇月ころには話合いは相当煮詰っていたところ、被告人の妻ウメ子が死亡して、その通夜や葬式の準備に右天野が献身的な世話をしたことに被告人が感動し、その結果同月一一日に最終的な債務免除の意思表示をするに至った旨主張するが、原審証人天野文雄の供述によると、同人は、被告人が昭和四九年二月病院を建築した際、病院内で売店を経営させてもらうという約束を履行してもらえなかったため、病院の前に店舗を新築し、それに被告人から借り受けた金員を使い果たしてその返済ができなくなったので、その債務免除を申し入れたが、被告人に断られたままであったところ、昭和五〇年一〇月一一日の被告人の妻の通夜のとき、被告人から右債務の免除を受けたというだけであって、所論主張のように債務免除の交渉が続けられ昭和五〇年一〇月ころまでにその話合いが煮詰っていたという状況があったとは窺われないこと、また右証人の供述は、昭和五〇年一〇月一一日に被告人から債務免除を受けたときの被告人とのやり取りにつき、通夜を全部切り回してやっていたら、被告人から「ふみちゃんありがとう」といって債務免除につき暗黙の了解をしたもので具体的に借りている金をどうするという話はなかったと述べた後、次には、被告人が「もういいよ、もうお金なんかいいよ。」と言った旨述べるなど極めてあいまい、不明確な供述をしているものであることにかんがみ、右証人の供述及びこれを肯定する被告人の原審公判廷における供述をもって被告人が右天野に対し債務免除をした事実を認めることはできないのみならず、その事実が存したことを疑わせることもできないというべきである。その他所論及び被告人作成の供述書を検討しても右認定判断を左右するに足りない。

したがって、原判決が、被告人の天野文雄に対する貸付金一、一〇〇万円の元利金につき、昭和五〇年中における債務免除を認めず、その利息の期末残を認定したことに事実の誤認はない。

2原判決は、天野文雄に対する一、一〇〇万円の貸付は、被告人の経営する南堺病院の建設計画増設計画の実現について多大の協力をしてもらった関係から発するものであり、病院建物完成後、建物の一室を使用して売店営業を独占的にやらせる約束もしていたところ、ある事情により阪井誠道に使用させることになってしまったこと、これに対し天野文雄が憤慨し、前記貸付金を免除せよと迫っていたことなどの経過を無視し、村田ウメ子の通夜の際唐突として債権免除の話がなされたように誤解しているので改めて控訴趣意を明らかにして事情を説明する。

(一)弁護人請求番号一〇、同一一(不動産売買契約書)、同一二(契約書)同一三(土地建物売買契約書)、同一四(領収証)、同一五(土地建物売買契約書)、同一六(領収証)同二〇(図面二葉)証人天野文雄及び被告人の供述によれば次の事実が認められる。

イ被告人の経営する大野芝診療所は、昭和四五年一二月火災によって焼失したが、被告人はその頃からこれに隣接する土地を買収して、その地上に大規模な病院を建設する計画を持っていた。そして昭和四七年一〇月からその建設に着手し、昭和四九年二月これが完成したが、その後も病院及び付属設備の増設計画をもっていたこと。

ロこれらの計画を実現するためには〈1〉その隣接敷地を買収確保すること〈2〉その建設について、地元近隣住民の合意をとりつけることが必須の条件であったこと。隣接地は殆どが天野文雄の父儀一の所有であり、近郊農業を営む同人は、その土地を手放すことに猛反対であったこと。地元自治会長は阪井誠道であり、隣組長は天野文雄であったこと。従って被告人としては前記病院建設計画、増設計画を実現するためには、天野文雄を通じて、父儀一を説得して前記〈1〉の条件を、また、隣組長である天野文雄を通じて近隣住民を説得して前記の〈2〉の条件を、それぞれ果たす必要があったこと。

ハ天野文雄はよく被告人の要請に応え父儀一を説得しまた近隣一六戸を戸別に訪問するなどして協力した結果これが功を奏して病院用地の買収確保ができ、その建設工事も進捗し、病院建設が順調に実現したうえ新館増設の敷地の確保もできたこと。

ニ天野文雄の被告人に対するこのような協力の労に報いるため、被告人は天野文雄に対し、病院完成後は、その建物のうち一室約五六m2(約一七坪)を同人に無償で提供し、売店などの営業を独占的にやらせることとし、当事者間にその旨の約束があったこと。

しかし、昭和四九年二月、建物が完成し、南堺病院として発足したが、右一室は事情により、前記自治会長阪井誠道に使用させることになったため、天野文雄と前記約束が実現せず、これに違背する結果となったこと。その頃から当事者間に本件貸金元利金棒引き(免除)の話合が続けられて来たこと。

ホ被告人は、昭和三九年大野芝診療所を新築して以来、隣地に居住する天野文雄と親しく付き合うようになり同人を「ふみちゃん」と呼ぶ程の親密であったこと。昭和五〇年一〇月一〇日被告人の妻ウメ子が死亡し、その通夜や葬式に当たっては、同人は前記の事情があったにも拘わらず献身的な世話を尽くし、被告人に大きな感動を与え、その日被告人は右天野に対し、「ふみちゃん、ありがとう もういいよ、 お金なんかいいよ またこれからも頼むよ・・・」と話したこと。

ヘ利息弁済期(毎月末日)元利弁済期(昭和四八年一二月末日)に一度も弁済がなされたことがなく、その後これを被担保債権とする抵当権、仮登記担当権が、いずれも抹消されていること。

以上によれば、被告人と天野文雄間において、同人の被告人に対する前記のような病院建設に関する用地の買収や建設工事についての貢献、病院における売店等営業違約の補償および将来の病院新館用地の買収確保のための協力などと対価的に本件貸付元利金債務を免除すべきことについて交渉があり、その交渉は、南堺病院が完成した昭和四九年二月頃からはじまりその話合いは翌年五〇年一〇月頃には両者間に相当煮詰まっていたものと認められその結果前記の通り被告人の妻ウメ子の死亡を契機として、その通夜や葬式の準備における献身的な世話に感動し、最終的な債務免除の意思表示に至ったものと認められる。そして、前記の事実関係のもとにおいては、このように判断するのが最も合理的である。

(二)右のように弁護人は原審において、被告人が妻ウメ子の通夜の席において天野文雄に対し、債務免除(元本及び利息一切)の意思表示をした事情を証拠に基づいて詳述しているに拘わらず、原判決は、弁護人主張の事情の有無を全く判断しないで、右のような意思表示がなされたと解することは甚だ唐突かつ不自然のそしりを免れないと判示している。

右のような判示は、裁判所の公平不偏の判断を期待する被告人、弁護人を納得せしめるものではない。

原判決は、前記貸付金に対する公正証書が昭和五一年九月二日の本件査察調査の当日、院長室において差押えられていること、被告人が捜査段階において右貸付金及び未払利息についてその存在を認めていること、被告人が仮に債務免除をしたのであれば特異な体験として失念する筈がないことなどの理由から債務免除の事実の主張については、合理的理由を見出すことは困難であると判示しているが、前記一、一〇〇万円の内訳は

昭和四六年一〇月一二日 五〇〇万円

同年一二月一七日 三〇〇万円

昭和四七年 六月 五日 三〇〇万円

であるが(一〇四の第二問答)、被告人は、その後天野儀一(文雄の父で右貸付金に対する担保提供者であり、連帯保証人であった。)から約六五坪の土地を単価二〇万円で購入し、その代金は、

昭和四八年二月二〇日 一、〇〇〇、〇〇〇円

(No.六七八七七小切手)2/21決済

〃 一、〇〇〇、〇〇〇円

(No.六七八七八小切手)2/22決済

昭和四八年四月一一日 一、〇〇〇、〇〇〇円

(No.八一八〇二小切手)4/12決済

〃 四、三六八、〇〇〇円

(No.八一八〇八小切手)4/14決済

〃 五三〇、五〇〇円

(No.八一八〇九小切手)4/13決済

〃 一、〇〇〇、〇〇〇円

(No.八一八〇三小切手)5/1決済

〃 一、〇〇〇、〇〇〇円

(No.八一八〇四小切手)5/1決済

〃 一、〇〇〇、〇〇〇円

(No.八一八〇五小切手)5/10決済

昭和四八年一二月二六日 一、〇〇〇、〇〇〇円

(No.八一七八九小切手)12/26決済

合計 一〇、九九八、五〇〇円

で小切手をもって支払っている。(九八の第一一問答及び四参照)

本来被告人はこの段階で右代金と前記貸付金とを相殺できた筈であるが、天野父子には右貸付金を返済しようという態度が見受けられず、むしろ被告人の病院経営に対する協力を恩に着せ債務免除を得ようとする気配が濃厚で約条を無視して利息の支払は全くしないまま経過しているのであって父儀一も老境に入り、さらに天野父子の病院経営に対する協力につき知悉している村田ウメ子死亡に遭遇した文雄が、その通夜に債務免除を申し入れたとしても決して唐突不自然なものではない。

被告人は、本件債務免除を突然言い出したのではなく、既に査察官にそのことを話したのに拘わらず、査察官は公正証書が存在しているとの理由で一切取り上げないばかりか、質問てん末書にも記載してくれなかったのである。

被告人の捜査段階における供述は、捜査官の恣意、選択によるものと思われる点が多く存しており、原判決が被告人のものではなく、妻村田ウメ子のものであると認定している中谷澄子に対する貸付金についても、被告人は「利息は貰わないことになっております。」と述べ恰も自分の債権のごとく供述したことにされている。

3本件の債務免除については、右に述べたような客観的事実が存するとともに、債権者と債務者の両当事者が共通の供述をしているのである。

民事上の当事者の意思表示があったことについて、法廷において宣誓した証人と、被告人との両者において、明確になされているのに拘らず、その事実の存在を否定するのは社会的事象と証拠の価値判断を無視した裁判所の独断である。

短絡的な考察によれば、本件貸付金一、一〇〇万円の債務免除は、昭和五〇年分の損益計算と直接結びつくわけではないので、これだけ多額の損金を認めることについて一種の抵抗が感じられるかも知れない。

しかしそのような考え方は、税法が期間計算を原則としていること及び財産増減法における各資産を完全に把握すべきことを無視したものであって、健全な企業経営と良識的な税法解釈を無視したものといいうべきである。

原判決の事実誤認は明らかである。

五 患者稗田の治療費六〇万円について

1患者稗田の治療費六〇万円について原判決は次のとおり判示している。

所論は、昭和四九年一二月三一日の事業主貸中加藤俊雄分六〇万円については、被告人が集金を委任したことがないのに、加藤俊雄が昭和四九年中に病院の患者である稗田から診療代六〇万円の支払いを受け、これを無断で費消したものであり、そのことを被告人が知ったのは昭和五〇年二月であるから、加藤俊雄が稗田から六〇万円を受領したことをもって被告人が受領したことにはならず、期首においては、なお被告人の経理上は六〇万円の未収入金が存したと認めるべきであるのに、これを認めなかった原判決には事実の誤認があるというのである。そこで検討するに、関係証拠によれば、原判決が、原判決の判断の第三の七の2において、加藤俊雄が取り立てた稗田の治療代を昭和四九年の事業主貸として処理すべきものであると認定判断していることは、正当としてこれを肯認できる。なお、所論にかんがみ付言するに、被告人の昭和五一年一〇月二七日付質問てん末書によれば、被告人は、加藤俊雄から稗田の診療代を集金して使ったので直接同人に請求しないよう念を押されていたところ、昭和四九年中に同人から診療代の入金がなかったので、加藤俊雄に対する支出金として処理したこと、及び右六〇万円を含め加藤俊雄、加藤幸雄の兄弟に対し昭和四九年中に支出した金員の集計をしてメモを作成したのは昭和五〇年二月二四日であったが、右六〇万円を加藤俊雄に対する支出金として処理すべきであることは昭和四九年中に知っていたことが認められる。

したがって、原判決が期首における未収入金として稗田の治療代六〇万円を認定しなかったことに所論の事実誤認はないというべきである。

2被告人は加藤俊雄に対し、患者稗田の治療費六〇万円について、取立を依頼した事実は全くない。

然るに加藤俊雄は被告人に無断でこれを取り立て流用してしまったのである。(被告人の昭和五一年一〇月二七日付質問てん末書、第六問答)換言すれば、加藤俊雄による横領被害となるのであって、右取立の時点は昭和四九年中のことであるから、昭和四九年末に被告人がこれを認識し、加藤俊雄に対する支出金として認容したものかどうかが重要な問題である。

被告人は、昭和五〇年二月二四日、昭和四九年中に加藤兄弟に支出した金員の集計をメモしており、その中に前記稗田の治療費六〇万円が掲記されているので、この点では、加藤俊雄に対する支出金として同人の横領を宥恕していることが確認できる。

ところが原判決は被告人が加藤俊雄から稗田の治療第六〇万円を集金して使ったので直接同人に請求しないよう念を押されていたとしたうえ、被告人が右六〇万円を加藤俊雄に対する支出金として処理すべきであることを昭和四九年中に知っていたというのは全く証拠によらない独断である。

被告人が加藤俊雄から右のような念を押されていたとしても、同人が集金したものを流用することを事前に了承したことはないし、昭和四九年末までに同人から集金を流用した旨の報告も受けていないから知る由もない。

原判決は如何なる証拠に基いて被告人がこれを昭和四九年中に知っていたと認めたのであるか。

昭和四九年末において、稗田の治療費六〇万円は被告人の認識の点からみればなお未収入金として存続計上さるべきであり、さもなければ加藤俊雄に対する損害賠償債権として計上され、これらの資産は昭和五〇年二月二四日に至って消滅したものとされるべきものである。

原判決は「事実の認定は証拠による」という裁判の根本規定を無視し重大な事実誤認に陥っているのである。

六 加藤俊雄に対する貸付金

1原判決は加藤俊雄に対する貸付金一〇〇万円は、期末に存在していない旨の控訴趣意に対し、次のとおり判示してこれを排斥した。

所論は、原判決は、期末において、加藤幸雄に対する貸付金一〇〇万円を認定したが、被告人が昭和四八年九月一日加藤幸雄に貸し付けた一〇〇万円は、同人が病院を退職した昭和五〇年二月に、同人に支払うべき退職金と相殺し、期末には、右貸付金は存しなかったから、原判決の右認定には事実の誤認があるというのである。

そこで検討するに、関係証拠によれば、被告人が、昭和四八年九月一日、加藤幸雄に対し、同人の弟の加藤俊雄を通じて一〇〇万円を貸し付けたこと、加藤幸雄は昭和五〇年二月病院を退職したこと、その後、加藤幸雄は、加藤俊雄を通じて被告人に退職金を要求し、昭和五一年ころ、被告人から四〇万円の支払いを受けたことが認められるところ、被告人は、原審公判廷において、昭和五〇年二月に加藤幸雄が退職した直後に加藤俊雄から加藤幸雄の退職金の話があり、その時点では貸し付けていた一〇〇万円と相殺するということで話がついた旨供述するのであるが、右供述は、加藤幸雄及び被告人の各質問てん末書、証人加藤幸雄の原審及び公判廷における各供述において、同旨の供述がなされていないことに照らしてにわかに措信することができず、ほかに、被告人が右貸付金につき昭和五〇年中に加藤幸雄に対する退職金一〇〇万円と相殺した(黙示の意思表示による相殺を含めて)ことを窺わせるような証拠はない。したがって、期末において、右貸付金一〇〇万円は存在していたと認めるのが相当である。その他所論が縷々主張するところを検討しても右判断を左右するに足らない。

したがって、原判決が期末の加藤幸雄に対する貸付金一〇〇万円を認定したことに所論の事実関係はないというべきである。

2右の原判決は、控訴趣意で述べた具体的事実の有無、是非についての判断を避けているので念のため、以下控訴趣意について再論する。

ところで被告人は、本件査察強制調査の際、退職金について、加藤幸雄二〇〇万円、村田高秋三〇〇万円、村田ウメ子(死亡)三〇〇万円合計八〇〇万円であると供述していたが、(九一の第九問答)、その後、右は誤りであって、村田高秋四〇〇万円、村田ウメ子四〇〇万円合計八〇〇万円と供述を変更しているので(一〇六の第七問答)この段階では加藤幸雄に対する退職金は全く無かったことになっているが、その供述変更の理由は述べられていないので調査は不十分に終わっている。

これは、被告人としては、加藤幸雄に退職金一〇〇万円のほか、追加約四〇万円、その他合わせて二〇〇万円位(無断欠勤後も暫く給料名下で金を渡していた。)を支払っていたので査察官に退職金二〇〇万円と答えたが、その後加藤俊雄からそのような答え方をするなと言われて変更したものである。

この段階では、まだ被告人は加藤俊雄の指導を受け査察調査に臨んでいたのである。

他方加藤幸雄は、昭和四六年九月大野芝診療所当時に就職し、昭和五〇年二月一〇日南堺病院を退職している。

同人はこの間において、昭和四八年九月一日、自宅新築資金として本件一〇〇万円(大和/堺宛小切手)を借り受けたが、南堺病院の新築に努力しているのでこの程度のものは貰っても当然である旨査察官に供述している。(一一の第五、第六問答)

右供述は、昭和五一年一一月一八日になされているが、南堺病院が発足したのは昭和四九年二月であるから、加藤幸雄が前記一〇〇万円につき、貰っても当然であると考えるようになったのは、勿論病院新築完成以後のことであるといえる。

ところで、被告人は、昭和五一年五月頃、加藤幸雄の代理人である加藤俊雄の要求により、幸雄の退職金として約四〇万円を渡しているが、この約四〇万円は前記一〇〇万円の追加として渡したものである。

加藤幸雄は、昭和四九年分の所得税の確定申告期限が近づいた昭和五〇年二月、突如無断で欠勤しはじめ、自然退職となったもので、翌五一年五月まで退職金も要求しないで過ごすような人物ではなく、退職の際、自ら前記一〇〇万円を退職金に充当するつもりで退職金支払を求めずにいたものであり、(前記のように査察官に対しても南堺病院新築の際の努力の対価として貰うのが当然と供述している)被告人も同人の心中をそのように解してあえて返済を求めず、弟の加藤俊雄もそのつもりでおり、互いに暗黙のうちに相殺を認める結果となり幸雄に対する退職金は解決していたのである。

然るに昭和五一年五月、被告人は、さきに加藤幸雄の仲介により、松本より池尻所在の土地に根抵当権を設定して五〇〇万円を借り受けたことがあり、既にこれを返済したに拘らず登記が抹消されていなかったので加藤俊雄を介し、加藤幸雄に登記抹消方を申し出たところ、幸雄は退職金が少なかったので只ではこれに応じられないと言い、被告人は仕方なく退職金の追加という名目で約四〇万円を渡したのである。かような経過から加藤幸雄に対する退職金は合計約一四〇万円であって、原判決の判示するように一〇〇万円は貸付金として残存し、退職後約一年三ヶ月も経過してから支払った約四〇万円だけが退職金だとするのはあまりにも不合理であり、このような少額の退職金の支払だけで引退がるような加藤兄弟ではないから、その後さらに支払要求がある筈であるが、そのような事実はない。

以上の理由により原判決の前示判断は事実を誤認したものである。

3退職金は退職金規定によって事業主が退職者に対し、退職時に支払うべきものであり、その請求権は二年間の短期時効によって消滅するものであることは事業主は勿論退職者もひとしく知るところである。

昭和五〇年二月に退職した加藤幸雄に対する退職金は当然同年中に支払われている筈のものであるのに、昭和五一年五月になって、四〇万円の支払がなされているのは、被告人所有の池尻の土地の根抵当権抹消方交渉について加藤俊雄を介し、加藤幸雄に依頼したことにかこつけて、俊雄が兄幸雄の退職金の追加を求めたから被告人は前年の退職金一〇〇万円に対する追加名目で支払ったに過ぎない。

加藤兄弟の供述よりも被告人の説明の方が遙かに実体に合致し真実性が見受けられるのである。

仮りに原判決認定のとおりであるとした場合、昭和五〇年一二月三一日の期末において別に未払退職金一〇〇万円を負債として計上しなければ、正確な貸借対照表とはなり得ない。

この点においても、本件における財産法の大雑把さを看取することができるのであって原判決の事実誤認は重大である。

七 寺岸庸光に対する二四五万円

1原判決は、寺岸庸光に対する期末貸付金二四五万円は存在しない旨の控訴趣意に対し次のとおり判示してこれを排斥した。

所論は、被告人は、昭和五〇年五月ころ、病院の建築を請け負わせていた大末建設の経理課長寺岸庸光(以下「寺岸」という。)の仲介で、被告人の取引銀行である大和銀行堺支店副長永田宗次郎(以下「永田」という。)から同人所持の約束手形二通(額面合計三二〇万円)の割引を依頼されてこれを割り引いたところ、寺岸は右各手形の裏書きをしているので、その手形上の債務ないし手形外の保証債務が発生したが、被告人が右手形割引を承諾した時点で、被告人と寺岸、永田両名との間において、寺岸、永田両名には何らの債務も負担させない旨の暗黙の合意があったものであり、仮に右合意の事実が明確でないとしても、右各手形が不渡りとなった時点において、被告人は、寺岸、永田両名に対し、右手形に関する一切の債務を免除したものであるから、原判決が、右三二〇万円のうち返済分七五万円を控除した二四五万円につき期末における貸付金である旨認定したことは、事実の誤認であるというのである。所論にかんがみ検討するに、被告人の昭和五一年一一月一七日付質問てん末書、証人寺岸、同永田及び被告人の原審公判廷における各供述によれば、被告人は、昭和五〇年五月ころ、病院の建設工事を請負わせてた大末建設の経理課長の寺岸から被告人の取引銀行である大和銀行の永田(もと同行堺支店副長であり、当時は本店に勤務していた。)に対し、三二〇万円の貸付けをしてほしい旨依頼されてこれを承諾し、その支払いのため、割引名下に水口真弓美振出の約束手形二通(一通は金額一〇〇万円、支払期日同年八月三一日、他の一通は金額二二〇万円、支払期日同年一〇月二日。以下「本件手形二通」という。)の交付を受けて、三二〇万円を貸し付けたこと、寺岸は、被告人に対し、永田の右借受金につき保証する旨を約し、本件手形二通に各裏書をしたこと、その後、本件手形二通はいずれも不渡りとなったが、被告人から寺岸にその支払いの催促がなされ、さらに同人から永田に対し同様の催促がなされた結果、永田から被告人に対し同年九月頃五〇万円、同年一二月末ころか昭和五一年一月上旬ころに二五万円の返済がなされたが、その残金は未返済であること、永田は、原審公判廷において、なお右未返済分の債務を負担していることを自認していること、以上の各事実が認められ、右の認定に反する証拠はない。右認定事実に照らすと、所論主張のように本件手形二通の手形割引をした時点で、被告人と寺岸、永田両名との間において、寺岸、永田両名には何らの債務をも負担させない旨の暗黙の合意があったこと、及び本件手形二通が不渡りになった時点で、被告人が寺岸、永田両名に対し、債務の免除をしたことはいずれも否定されるべきことが明らかであるといわなければならない。なお、証人寺岸は、原審公判廷において、本件手形二通が不渡りになって大分経ってから被告人から保証人としての債務を免除するような話があった旨供述するが、前記認定事実に照らすと、仮にそのような話があったとしても、それは昭和五〇年中ではなかったと認めるべきである。また、同証人は、当審公判廷において、被告人から債務免除の話があったのは手形が不渡りになった一ヶ月後くらいであった旨供述するが、前記認定事実に照らし措信できない。その他所論が縷説するところを検討しても、右判断を動かすに足らない。したがって、原判決が、検察官の期末において寺岸に対する三二〇万円の貸付金があった旨の主張に対し、昭和五〇年中に右のうち七五万円が返済されたことを認め、これを控除した二四五万円を期末における貸付金である旨認定したことは相当であり、原判決に所論の事実誤認は存しない。

なお、付言すると、仮に弁護人主張のように被告人が昭和五〇年中に寺岸及び永田に対し債務免除をしたとしても、病院の経費となるべきものではないから、被告人の事業所得金額の計算上では、事業主貸勘定に計上すべきものであって、その所得金額には増減は発生しないものである。

2本件の事実関係の詳細は次のとおりである

弁護人請求証拠番号第一七及び第一八(約束手形)、証人寺岸庸光、同永田宗次郎及び被告人の各供述によれば次の事実が認められる。

(1)昭和五〇年五月頃、被告人は病院の建設工事を請負っていた大末建設株式会社の経理課長寺岸庸光の仲介で、取引銀行の株式会社大和銀行堺支店副長永田宗次郎から同人が所持する約束手形二通、額面合計金三二〇万円(〈1〉額面金一〇〇万円支払期日同年八月三一日、〈2〉額面金二二〇万円、支払期日同年一〇月二日、振出人はいずれもグリル大和、水口真弓美)の割引を依頼されて、これを割引き、利息(割引料)金二三八、九三三円を受領したこと。

(2)前記〈1〉の手形には、石橋宏、千葉寛、永田フミ、寺岸庸光、前記〈2〉の手形には、右石橋及び千葉を除く他の二名の各裏書が順次なされていたこと。

(3)右永田宗次郎が副長をつとめていた大和銀行堺支店は、被告人の主力銀行であり、病院建設に当たって当時多額の融資を受けており、新館増築に当たっては、さらに相当多額の融資を受けなければならない関係にあり、他方右寺岸庸光が経理課長をつとめていた大末建設に対しては、病院の建築工事に関する多額の請負代金未決済手形があるうえ、病院建物の修補、保守問題をかかえていたこと。

(4)右手形は、いずれも不渡となったが、被告人からは、その際右寺岸に対して一度だけ督促があっただけで、その後同人はもちろん右永田に対しても全然何の連絡もなかったこと。そして振出人水口は所在不明であり、手形債務者中、右永田及び寺岸を除く他の債務者は、いずれも所在不明か、また支払能力皆無であること。

以上によれば、右寺岸の手形上の債務ないし手形外の保証債務は、いずれも一応これを認めることができる。

しかし、当時における被告人と右寺岸及び永田との間に存在した前記特段の事情のもとにおいては、被告人が本件手形の割引を承諾した時点において、被告人と右両名間に被告人から右両名に対しては、何等の債務をも負担させないことについての暗黙の合意があったものと判断するのが相当である。仮に、右合意の事実が明確でないとしても、不渡となった時点において、被告人が右両名に対して本件手形に関する一切の債務を免除したことが明白である。

そうだとすれば、その余の手形債務者は、前記の通り所在不明ないし支払能力皆無となったこと、まことに明白である。

原審における証人寺岸庸光、同永田宗次郎の尋問段階では弁護人らは、これらの人物が、第一部上場会社の大末建設の社員であったり、大和銀行の行員であるという一応の信頼を抱いていたために、疑惑の観点に立った尋問は不十分に終わっている。

この両名が知り合ったのは、昭和四九年一二月における例の見せかけの三〇〇〇万円のジャンプが仕組まれた時のようであり世間知らずでお人よしの医者である被告人が、この二人の狐と狸のだまし合いの間でうまく利用されたのがそれである。

本件手形割引においても、被告人は両名からの信頼に対する義理立てと僅かな割引手数料(二三八、九三三円)の餌につられてこれに応じたものであるが、寺岸、永田両名とも右手形二通の振出人である大阪市東区瓦町一丁目一三番地グリル大和水口真弓美なる人物も、同女の信用度も全く知らないまま、寺岸庸光本人や永田の妻永田フミの裏書をして被告人に割引を依頼しているのである。

このようなことは、この両名の社会的地位、職業経験に鑑みて右手形が不渡になった時、自ら最後までその法的責任を負うべき覚悟をきめて裏書をなし、被告人に割引を依頼したものとは到底考えられず、万一不渡による支払不能となったときは、人のよい被告人にその損害を被らせようという意図があったものとしか考えられない。

そうでなければ、自己の被告人に対する責任の履行を全うするとともに、これが担保できるよう振出人、裏書前者に対する債権確保を図っておくことが両名の社会的地位、職業経験からして当然に想定される帰結であるが、それが一切なされていない。

而して両名はいずれも本件債務についてこれを履行する能力すら見受けられず、返済の意思もなかったものと認められる。

証人寺岸庸光は第一審第二四回公判で検察官の誘導的尋問に対して次のように答えている。

検察官

それからあなたに対して院長のほうから、この三二〇万円の件については、もうあなたの保証人としての債務、これを免除しますと、そういう正式なお話も別にないわけですね。

寺岸

あの、そういうあとでですね。そういうらしきような話が一度あったと思うんですけれどもね。しかし、まあ私も保証人になっておるもんですからあまりありがとうございますとも何も言わなかったように思うんですけれども。

検察官

正式にはそういう話は聞いていないわけですか。

寺岸

はい。そういう話があったように思います。

検察官

それはいつのこと。

寺岸

それは、不渡になってから、それから大分たってからの話だと思いますけれどもね。

右によって、被告人が本件債権を免除した事実があったことは明らかであって、その時期は手形不渡になってから大分経てからということで、証言自体からはその時点は特定できないが、支払期日は昭和五〇年八月三一日及び同年一〇月二日であるから、被告人の供述するように昭和五〇年一二月三一日までに債務免除がなされたとみるのが至当であり、原判決はこの点において明らかに事実を誤認している。なお本件について振出人水口真弓美らから真実の事情が聴取できるならば、被告人は、寺岸庸光、永田宗次郎らが間接正犯である詐欺被害を受けた可能性が考えられ、その場合には被告人の所得計算上では雑損控除による損金が計上され、B/S上の資産とはならない。

いずれにしても本件を資産と認め被告人の犯則所得に加算することはゆるされない。

右の経過によっても、被告人が本件債務を免除した時点が昭和五〇年一二月三一日までであったという点については、被告人の供述と寺岸の証言が証拠となるのであるが、原判決はこれらの供述を採用しないで何ら明確な証拠もなくして、その時点について、「昭和五〇年中ではなかったと認めるべきである」と判示している。

原判決はこの点においても証拠に基づかないで事実を認定している。

3さらに原判決は、「仮に弁護人主張のように被告人が昭和五〇年中に寺岸及び永田に対し債務免除したとしても病院の経費となるべきものではないから、被告人の事業所得の計算上事業主貸勘定に計上すべきものである。」と判示しているが、前記のごとく永田宗次郎が副長をつとめていた大和/堺は、被告人の主力銀行であり、病院建設に当たって多額の融資を受けており、新館増築に当たっては、さらに相当多額の融資を受けなければならない関係にあり、他方寺岸庸光が経理課長をつとめていた大末建設に対しては、病院の建築工事に関する多額の請負代金決済手形があるうえ、病院建物の補修、保守の面で将来にわたって世話にならなければならない関係にあったもので、被告人が二通の約束手形の割引に応じたのは、南堺病院の円滑な運営を図るために外ならない。

本件手形割引は、同病院の運営と無関係に被告人が友人等に対してなすような貸付金とは全くその性格を異にするものであって、病院の経費となるべきことは明らかである。

この点においても原判決の事実誤認は明らかである。

八 薬品棚卸

1財産法において、実地棚卸記録のない場合の在庫高の把握は、金銭出納帳のない現金在高の把握とともに把握困難な勘定科目の中に挙げられている。

これは被告人の記憶による供述を認定の主たる証拠としなければならないところ、二年ないし三年以前の一時点における記憶に正確さを求めることが、通常不可能であるためである。

多くの査察調査においては、右のような場合損益法によって、在庫高や現金有高を推定し、その額と犯則嫌疑者の記憶による額を対比し調整する方法がとられており、そのよう確定方法をとらざるを得ないとも言える。

従って、このような方法は極めて慎重に行わなければならない筈であるが、査察官によっては、自分の推定額を押しつけ、損益法の裏付けを作ろうとするようなことも往々にして存する。

本件において、さきの現金の項で述べたように、昭和四七年末から昭和五〇年末までの四年間の合計保管現金がいずれも一〇〇万円であり、昭和四七年末と昭和四八年末の現金合計がいずれも三九五万円であることを内容とする貸借対照表が作成されているのがその適例といえよう。

2本件における薬品棚卸に関する査察官調査内容は、

昭和四七年一二月三一日 一五、〇〇〇、〇〇〇円

同 四八年一二月三一日 一五、〇〇〇、〇〇〇円

同 四九年一二月三一日 二〇、〇〇〇、〇〇〇円

同 五〇年一二月三一日 二八、五〇〇、〇〇〇円

となっている。

被告人は昭和四九年末、昭和五〇年末はいずれも実地棚卸をしていないが、昭和五一年六月実地棚卸をしており、その内容が真実に近いと供述しており、(被告人の昭和五一年一〇月一五日付質問てん末書、第二問答)さらにその後昭和五一年六月二九日の棚卸資料によると約七、〇〇〇万円であるが、これは夏前の特売で買込みをしている時のものであって、推定によると昭和四九年末二、〇〇〇万円、昭和五〇年末二、八五〇万円である旨供述し、(被告人の昭和五一年一一月二六日付質問てん末書、第二、第三問答)右二、八五〇万円の根拠は、明快薬品の菖蒲が昭和五一年一一月頃棚卸をしてくれた時二、八〇〇万円ないし二、九〇〇万円であったのでその中間数値をとった旨供述している。(被告人の昭和五二年二月二五日付質問てん末書、第六問答)

昭和四九年末の二、〇〇〇万円については、昭和五四年三月九日付検面調書において、この時点でも菖蒲が実施棚卸をしたこと及びその額が二、〇〇〇万円であったことが被告人の供述となって現れている。

ところが菖蒲と被告人が薬品棚卸のことで具体的な折渉を持つようになったのは、昭和五〇年一〇月一〇日、妻ウメ子が死亡し、少し落着いた同年一一月頃が最初である。

昭和四八年一〇月六日、中東戦争勃発により、同年末頃より翌年前半にかけてオイルショックが襲来し、医薬品業界においても価格の騰貴と品不足に対する思惑から買溜めの風潮が充満するに至り、被告人も亦この風潮に乗りおくれまいとして、当初一年サイトの約束手形で薬品を買うことができたのを幸に、多量の薬品を買い、病院倉庫に格納するとともに、一部は薬品メーカーに預けていたことを公判の進行につれて思い出したのである。

そして、昭和四九年末と昭和五〇年末の在庫量は略々同量であったという記憶をとり戻し、昭和五〇年末の在庫が二、八五〇万円であるとすれば、昭和四九年末も略々同額であると判断し、これを主張することになったものである。

かような経過から被告人の記憶が絶対に正確であるとの保証はないにしても、二、〇〇〇万円に関しても正確性の保証はなく、昭和四八年末から昭和四九年にかけてはオイルショックによる異常な時代であったこと及び昭和五〇年中における医療診療収入は五億六、〇〇〇万円を超えており、通常の医薬品費率三〇パーセントをもって計算しても右の診療収入を得るための薬品費は約一億七、〇〇〇万円であること、これを仕入価格に換算評価するにしても、昭和四九年末から翌五〇年に持越した医薬品量については、二、〇〇〇万円よりも二、八五〇万円の方が実額に近いものと考えざるを得ない。

原判決が、昭和四九年末の薬品在庫を二、〇〇〇万円と認定したことは、本件の財産増減法による計算方法とを併せて考察したときは重大な事実誤認といわなければならない。

九 村田弘子関係店主貸

1村田弘子の店主貸に関する控訴趣意は次のとおりである。

岡本弘子(村田弘子)は、当時殆ど毎日被告人が作成する証明書の下書き、病名印の手渡し、カルテ転記時の氏名、住所、保険証番号の記入などをしており、被告人より右労務の対価として毎月約一五万円を支給されていたものである。(第二一回、第二二回公判における岡本弘子の証言)

その支給方法としては当初は毎月末又は翌月初に一五万円ないし一六万円が大和/堺の被告人の当座預金から泉州/白鷺の岡本弘子の普通預金口座に振替送金されていたが、その後資金ぐりの都合などから保険治療関係の受取小切手を渡すこともふえるようになり、定期に定額を支給する形は変わったものの概ね月額一五万円を目途として支給されていた。(検甲八号)

支給内容は、昭和四八年中、1/17三〇万円、2/14・3/14 4/3・4/25・5/25・6/25各一五万円、7/25・8/25 10/25各一六万円、12/29三〇万円、昭和四九年中、1/26一六万円、2/25一五万円5/25・6/25各一六万円と規則的であったが、病院建設後は資金ぐりのため、不規則となっているが月額概ね一五万円となっている。公表帳簿である賃金台帳(符四号)によっても同女に対しては事務員として昭和五〇年中には合計九六一、五七五円の支給額に対し社会保険料四九、三五二円、所得税等三三、五三五円が控除されており、前記一五万円との差額はいわゆる簿外給与であるから、事業主貸の借方においてこの分についても当然減額されなければならない。

少なくとも右の賃金台帳に記載し、社会保険料、源泉所得税控除の対象となっている九六一、五七五円が事業主貸となる筈はない。

右のように客観的に真実性を表現する預貯金関係及び物的証拠(符四号)と背反する同女の国税査察官に対する質問てん末書及び検面調書は信用性が乏しい。

原判決は、右の社会保険料や源泉所得税は賃金台帳に記載しているだけで納付していないと認めているのであろうか。もしそうであれば証拠によらない独断といわねばならない。

原判決が、村田弘子の内助の功を認めながら、これに対する被告人からの対価の支払いをすべて事業主貸と認定しているのは明らかに事実を誤認したものである。

2右に対し原判決は、

そこで検討するに、関係証拠によれば、原判決が、被告人から村田弘子への授受金員八一三万三九六一円につき事業主貸であると認定したことは、その説示する理由(原判決の判断の第三の一一の1の(一))を含めこれを肯認することができる。なお、所論にかんがみ付言するに、所論は、押収してある賃金台帳四は、病院の公表帳簿であるが、これには事務員の村田弘子に対し昭和五〇年中に支給し、源泉所得及び社会保険料控除の対象ともなっている賃金九六万一五七五円が記載されているのであるから、少なくとも右金額は事業主貸ではない旨主張するが、関係証拠によれば、村田弘子が右賃金台帳記載の賃金を現実に病院の経理を通じて支給を受けたことはなく(右賃金台帳が公表帳簿である以上は、その支給があったとすれば、現実に毎月その記載どおりの金員が病院の経理から支払われるべきものである。)右賃金台帳上の同女に対する賃金支給は架空のものであると認められる(所論は、被告人から同女に渡した金員の一部がこれにあたると主張するものと解せられるが、その渡した金員の趣旨は生活費であるから、右の主張は採ることができず、また、所論は、源泉所得税及び社会保険料が支払われているから、賃金の支払いがあった旨主張するが、仮に源泉所得税及び社会保険料が支払われていても、そのことから現実に賃金の支払いの事実が認められるわけのものではない。)右九六万一五七五円について事業主貸から除外すべきものとは認められない。その他所論を検討しても右判断を左右するに足らない。

したがって、原判決が被告人の村田弘子への支給金八一三万三九六一円につき事業主貸と認定したことに所論の事実誤認はない。

3村田弘子が、夜自宅において病院の書類作成を手伝っていたことについては、同女の検察官に対する供述調書に記載されているばかりでなく、その内容が殆ど毎日にわたって、被告人が作成する証明書の下書き、病名印の手渡し、カルテ転記時の氏名、住所、保険証番号の記入などであることについては、同女が第一審第二一、二二回公判において証言している。

他方給与台帳には、昭和五〇年中の支給総額九六一、五七五円で、

健康保険料 二五、〇八〇円

厚生年金保険料 一七、一四〇円

失業保険料 五、一三二円

所得税 一七、八三五円

府市民税 七〇〇円

食費 一五、〇〇〇円

を差し引いた八七八、六八八円が現実に支給されたものとして記帳されている。

右の所得税、社会保険料等が事業主である被告人によって納付されていることは明らかである。

被告人と村田弘子との特別な関係に鑑みると病院の経理において村田弘子に支給すべき給料袋を被告人が受取り、これに何がしかの金員を加えて同女に手渡すようなことは通例として行われているところであって、これをもって右給料支給額まで店主貸に変化してしまうものではない。村田弘子が現実に病院の事務の一部を手伝い、病院側においてその対価として給料を支給することとし、源泉徴収、社会保険料納入等の手続を行っているのに、現実に賃金を支払ったものではなく、病院の経費とならないというのであれば、これらを差引いて残額を支払うような愚かなことは誰しもしない筈である。

原判決の認定はあまりにも社会の実情を弁えないもので独断にすぎるものである。

もし、村田弘子と被告人が特別な関係がなく、病院事務を手伝っていたものとすれば、公表計上給与額は勿論、それ以外のものも簿外給料として病院の経費となるものであって、右簿外給料は店主貸とはならないことは明白である。

この点における原判決の事実誤認は明らかである。

一〇 ビデオテープ及び浮世絵全集

1これらの点に関する控訴趣意は次のとおりである。

原判決は右は何れも被告人の個人的用途のために購入したものであるとして、その経費性を否定する。しかしながらビデオテープは当時すでに行われていた医家向けの専門のテレビ放映あるいは学術用のビデオテープを購入してこれにより医学の進歩に遅れないよう勉強するためのものであり、浮世絵全集は病院の装飾用である。これらは何れも病院内に保管されていたものであり、もし被告人が個人的な娯楽、趣味等のため購入したものとすれば当然自宅に保管されていて然るべきものである。病院に於ける被告人の勤務状況はまことに繁忙の一語に尽きるものであり、これらを病院内で趣味あるいは娯楽として楽しむような暇は全くない。原判決の認定は明らかに誤りである。

2右に対し原判決は、次のとおり判示してこれを棄却した。

所論は、原判決は、ビデオテープ(購入代金三三万四四三〇円)及び浮世絵全集(購入代金六三万円)は、いずれも被告人の個人的用途のために購入したもので、その各購入代金を事業主貸と認定したが、右ビデオテープは医師向けの専門のテレビ放映を録画するためのもので業務用として購入したものであり、また浮世絵全集は病院の装飾用として購入したものであるから、原判決の右認定は、事実を誤認したものであるというのである。

しかしながら、原判決が、右ビデオテープ及び浮世絵全集がいずれも被告人の個人用として購入したものであり、その各購入代金を事業主貸と認定判断したことは、その説示(原判決の判断の第三の一一の4及び5)とともにこれを肯認することができる。所論指摘のようにこれらが病院内に保管されていたことを考慮しても、右認定判断を動かすに足らない。

したがって、原判決が、ビデオテープ及び浮世絵全集の各購入代金を事業主貸と認定したことに所論の事実誤認はない。

3ところで、第一審判決は、

(一)ビデオテープについて、「被告人の当公判廷における供述によっても昭和五〇年中に執務上参考となるテレビ放映を被告人が録画した事実は認められない。又、一般大衆向けのテレビ放映は、医師の執務上必要なものとは考えられない。従って被告人の個人的用途のために購入したものと解するのが相当である。」

(二)浮世絵全集について、「被告人の当公判廷における供述によると、昭和五八年当時院長室等に右浮世絵の一部が飾ってあること、昭和五〇年中に右浮世絵を六三万円で購入したことが認められる。検察官主張のように浮世絵が病院装飾用になじまないとまでは解さないが、その購入の目的について検討するに被告人は病院の装飾用であると述べたり、贈答用であると述べたり、その供述が変遷していること、強制調査時病院中に浮世絵は飾ってなかったことから考えると、被告人の供述は俄に措信できず、個人用として購入したものと解する。」

と判示している。

4第一審判決も原判決もともに医師の実体を理解しないものである。

今日の医学は専門、細分化され医師は自己の専門以外の分野に関してもすべて一般大衆よりもすぐれた知識を有するものとは言い切れない。

而して被告人のような病院経営者は、自己の専門分野においてその力量を十分発揮するとともに、大衆医療を含めた医療全般についての知識を広め、専門分野との関連に意を用いなければならないことは当然のことである。

医学は日進月歩の道を辿っており、これに遅れた医療機械や治療方法は誤診に連なることになるから、医師は絶えずこの点に意を用いなければならない。

右のような観点から被告人がビデオテープを購入したことは、被告人の医療に対する取組み方を表現する以外にはなく、たとえ昭和五〇年中に録画をしたことがなかったとしても、被告人個人の娯楽のために購入したものとは到底考えられない。右ビデオテープが被告人自宅ではなくて、病院において保管されていたこともその裏付けとなるものである。

又、浮世絵全集は全部で百枚以上あり、そのうち歌麿の有名な美人画は一枚だけで他は風景画、人物画である。

これは被告人が病院の各所へ額に入れて飾ったり、病院出入関係者から所望されたときはその一部を分け与えたりするつもりで購入したものであって、被告人の趣味娯楽の目的で入手したものではない。

もしそのような目的で買ったものであれば、被告人はこれを自宅へ持帰って大切に保管している筈であるのにビデオテープ同様病院内に置いていたものである。

右のような実体より眺めると、第一審判決は実体を把握せず、犯則所得を増大させようとする査察官の意向を鵜呑みにしたものであり、これを支持した原判決は重大な事実誤認を犯したものである。

一一 加藤俊雄関係

1加藤俊雄関係の控訴趣意に対する原判示は次のとおりである。

所論は、被告人が加藤俊雄に支出した一二五〇万円につき、その一部は、被告人の税務対策に関する報酬又はこれに必要な経費であり、その余は、これを支出しなければ、同人から如何なる妨害あるいは攻撃を受けるかも知れない危険を避けるためのやむを得ない出費であり、病院経営のために必要な経費と認められるべきものであるのに、原判決は、右一二五〇万円が必要経費にあたらないとして事業主貸と認定したもので、右認定には事実誤認があるというのである。

そこで検討するに、関係証拠によれば、被告人は、加藤俊雄に対し、昭和五〇年中において、合計一二五〇万円(以下「本件一二五〇万円」という。)を支出したほか、毎月一五万円の給料を支給したことが認められるところ、被告人の昭和五一年一〇月二〇日付及び同月二七日付各質問てん末書その他関係証拠によれば、本件一二五〇万円の支出の趣旨、目的に関し、次の事実を認めることができる。すなわち、被告人は、昭和三六、七年ころから、税経新聞社を経営していた加藤俊雄に税務のことを相談し、税務署との折衝などをしてもらったりし、それに対しいくらかの謝礼をしていたこと、その後、昭和四二、三年ころからは、加藤俊雄の方から税務対策として税務署関係の人への中元、歳暮、せん別、接待費などが必要であると申し出があり、被告人は、その言い成りに金員を支出していたが、その要求金額が次第に高額となり、昭和四七、八年ころには、同人の税務対策のために金員が、必要であるというのが口実に過ぎないとの疑いを抱くようになったこと、そのため、被告人は、加藤俊雄への金員の支出をできるだけ現金ではなく、小切手又は手形によることにし、小切手帳または手形帳の半片に同人の金員要求の口実をメモ書きして証拠に残していたこと、そして、被告人は、昭和五〇年二月ころ、加藤俊雄から確定申告書の提出時期も近づいたので金を出してほしいと言われてこれを断ると、同人から被告人の税務の面倒を見ることをやめるが、税務調査をされると病院が成り立たなくなると言われ、その後も加藤俊雄の要求に応じて金員を支出していたこと、本件一二五〇万円のうちには、税務署長転任のせん別として三〇万円、同新任に対するあいさつ料として六〇万円、税務署長、副署長への中元として一一〇万円のほか、税経新聞社への寄付として二〇〇万円、税経新聞社移転費用分担金として二〇〇万円などの口実で支出されたものがあること、以上の事実を認めることができる。(なお、加藤俊雄は、同人の昭和五二年一月二七日付質問てん末書中及び原審公判廷において、本件一二五〇万円は、すべて被告人に使途を告げずに税経新聞社の運転資金の援助としてもらったものである旨供述するが、前掲の被告人の各質問てん末書に照らし、信用することができない。)しかるところ、関係証拠を検討しても加藤俊雄が本件一二五〇万円のうちから病院の経費として認められるべき支出をしたこと、あるいは毎月一五万円の給料と別に報酬をもらうべき病院の事務をしたことを認めることはできない。前記認定事実に照らすと、結局、本件一二五〇万円は、被告人が、自らの所得や資産内容あるいは税務処理の状況などを税務当局に知られることをおそれて、加藤俊雄に対して支出したものと認められ、これが病院の事業遂行上必要な経費であるとは到底認めることはできない。

その他所論を検討しても右認定判断を左右するに足らない。

したがって、原判決が被告人の加藤俊雄への支出金一二五〇万円につき事業主貸を認定したことに所論の事実誤認はないというべきである。

2被告人が加藤俊雄に対し、毎月給料一一三、〇〇〇万円(この金額は昭和五〇年分所得税源泉徴収簿(別添二)によって確認できる原判決の一五万円は誤認である。)を支給していたたほか

昭和四七年 八、〇〇〇、〇〇〇円

昭和四八年 九、〇一〇、〇〇〇円

昭和四九年 一四、四〇〇、〇〇〇円

昭和五〇年 一二、五〇〇、〇〇〇円

を支給したことは、査察官作成の総勘定元帳によって認められる。

昭和五〇年中の一二、五〇〇、〇〇〇円の内訳は次のとおりである。

一昭和五〇年二月一九日 一、〇〇〇、〇〇〇円(手形)

二 同日 一、二〇〇、〇〇〇円(小切手)

三 同年 三月二七日 一、〇〇〇、〇〇〇円(手形)

四 同日 一、〇〇〇、〇〇〇円(同右)

五 同年 三月二七日 一、〇〇〇、〇〇〇円(同右)

六 同年 六月一〇日 三〇〇、〇〇〇円(小切手)

七 同年 六月一〇日 二、〇〇〇、〇〇〇円(同右)

八 同年 七月一〇日 △二、〇〇〇、〇〇〇円(現金)

九 同日 一、〇〇〇、〇〇〇円(同右)

一〇 同年 七月一六日 六〇〇、〇〇〇円(小切手)

一一 同年 七月二四日 五〇〇、〇〇〇円(手形)

一二 同日 五〇〇、〇〇〇円(小切手)

一三 同年 八月 一日 一、一〇〇、〇〇〇円(手形)

一四 同年 八月二五日 五〇〇、〇〇〇円(現金)

一五 同年 九月三〇日 一、〇〇〇、〇〇〇円(手形)

一六 同年一〇月 一日 △ 四〇〇、〇〇〇円(小切手)

一七 同年一一月三〇日 一、〇〇〇、〇〇〇円(手形)

一八 同日 一、〇〇〇、〇〇〇円(同右)

一九 同年一二月三〇日 二〇〇、〇〇〇円(小切手)

3加藤俊雄は税経新聞社を経営し、国税局や管内税務署に出入りするいわゆる新聞雑誌ゴロであって、収税官吏との接触は広く、俊雄のことを「俊やん」と呼びならされていたほどであって、収税官吏は企業と総会屋のごとく、俊雄に対して付かず、離れずの接触をしていたものであり、俊雄はこれを利用して非税理士でありながら、納税者のための税務折衝を行いこれによる報酬を得ていたものである。

被告人のような病院経営者にとって、税務上最も問題になるのは、医師確保のための大学教授あるいは研究室等へ寄付、医師に対する裏給与等について、その支払先を明らかにしなければ経費として認容されないのかどうかということである。

もし、支払先を明らかにしたときは、当然相手方に不測の迷惑をかけ爾後医師派遣の道が断たれることになる。

又、正規ルートからではなく、現金問屋から廉価の薬を仕入れた場合には支払は現実に行われているが支払証憑が得られないという問題がある。右のようなことは給与所得者には考え及ばないことであるが、このような場合、収税官吏に対し右の事情を十分説明して支払証憑がなくても現実に経費として支出していることを納得させる必要がある。

不正を行っているわけではないのだから真実を話せばよいというもののその交渉には駆引が必要である。

医師である被告人は、本来そのような交渉は不得手であるし、患者の診療と真剣に取組みながらそのような精神的な消耗は極力避けたいというのが本音である。

右のような被告人のところへうまく食い込んできたのが加藤俊雄であり、同人は経験の浅い税理士以上に税務の現場実務に通じ、税務官署に顔の広いことを被告人に売りつけたわけである。

俊雄は検面調書の中で「村田院長は、もう自分は税務署という名前を聞いただけでもいやな気持ちになるんで、対税務署の関係は全部あなたにお願いすると言われた。」と供述したことについて、第一審第一二回公判で被告人と当初知合った頃そのようなことがあったと肯定している。

また、検面調書で「院長から交渉を仰せつかって、国税局や所轄税務署にも仕事の関係で知合が多かったので、自分は税理士の資格はないけれども病院の事務員の立場で対税交渉を任せておいてくれと言った」旨の供述について、任せておいてくれというくだり以外は肯定した証言をしているのである。

俊雄は自分で考えついたのか、知人から教えられたのかわからないが、無資格税理士として南堺病院のために対税交渉をして報酬を得れば税理士法違反となるので、これを避けるため同病院の医事課職員として少額の給料の支払を受けて在籍している形をとり、被告人の正当な代理人として申告・交渉・調査の立ち会いなどをしていたもので、被告人は開業以来長い間税務職員と直接交渉をするようなことはなく経過したので、俊雄に対する報酬としては給料名目の一一三、〇〇〇円では到底足らないものと思っており、俊雄のために支出した金員についても当然必要経費として認容されるよう俊雄が対税折渉を行うものと考えていたのである。

又俊雄は元大阪国税局総務部次長であった津村税理士を被告人に推せんして南堺病院の顧問税理士としておき、自らは税務署長らに対する餞別、忘年会費、税経新聞社への寄付などの理由をつけて被告人から金を引出したが、これらは自分の税務交渉に対する謝礼として受取っているものであって、税務署長らに金員を渡したようなことは全くなく、これは俊雄の口実であり、被告人としてもかような俊雄の口実を信じたものではなく、主として俊雄に対する報酬として支出している場合もかなりあったのである。

原判決のいうように被告人は自らの所得や資産内容あるいは税務処理の状況などを税務当局に知られることをおそれる必要はなく、それをおそれて俊雄に対して支出したものではない。

俊雄に対する前記支出金のうち、昭和五〇年二月一九日の一〇〇万円は、昭和四九年分の所得申告前における前渡金であり、同年三月二七日の二〇〇万円は右申告終了後の謝礼とともに今後の調査の際の交渉に対する前渡金である。又、俊雄は、昭和五〇年七月二一日、被告人の昭和四八年分の所得税の修正について、管轄堺税務署の収税官吏と折渉のうえ、修正申告書を提出している。右修正申告書は俊雄の依頼により筒井上席調査官もしくは他の署員が被告人の職業、電話番号、修正前と修正後の課税所得額等を記入し、俊雄が被告人の住所氏名を記入し村田ウメ子に捺印してもらったうえ提出しているのである。

従って、被告人が俊雄に支出した同年七月一〇日の一〇〇万円、七月一六日六〇万円、七月二四日の五〇万円二口には、俊雄としては、税務署長新任祝などの理由をつけているものの、右修正申告に関する着手金及び報酬であって、被告人もそのつもりで支出しているのである。

なお俊雄は昭和四四-五年頃に文房具店で村田の三文判を買ってこれを押印して申告書を提出したり、昭和四八年分の被告人の所得税の修正申告書を提出したりしたことを認めている。(第一審第一三回公判)

昭和五〇年中の支出のうち、右支出の合計は五六〇万円となるが、少なくともこの金額は俊雄の対税交渉に対する謝礼であることが明らかであって病院の必要経費に該当する。

被告人が俊雄に支出した金員のうち、毎月一一三、〇〇〇円の給料以外について、同人に対する店主貸として処理しないで、俊雄に対する報酬として処理するならば、非税理士活動を取締まるべき国税局がこれを黙認することになるから、査察官がそのような処理をしなかったのは当然である。

また俊雄が被告人に説明しているような税務署長に対する餞別や、忘年会費が現実に渡されていないことは、国税局監察官や検察官によって確認されている筈である。

かような点を綜合すると、被告人が昭和五〇年中に俊雄に支出した一、二五〇万円のすべてを経費として認めず、事業主貸であるとした原判決は本件の実態を無視し重大な事実誤認に陥ったものである。

一二 未払金関係

1未払金関係の控訴趣意に対する原判決は次のとおりである。

所論、原判決は、被告人が従業員に支給した給与にかかる所得税の源泉徴収洩れ分五六六万九二〇五円につき、これは被告人が負担すべきものでないとして、未払金の計上を否定したが、右源泉徴収洩れ分の給与は、当初から手取額として支給する約定のものであったから、被告人がこれらの者に対し源泉徴収洩れの支払請求をすべき根拠がないものであり、したがって経費として未払金に計上されるべきのものであって、原判決の右認定には、事実の誤認があるというのである。

そこで検討するに、所論主張のように源泉徴収洩れ分の給与につき、これを手取額として支給する約定があったことを認めるべき証拠はない。しかし、右給与は、もともと裏給与であるから、そもそも支給者らにおいて、所得税を源泉徴収して納付することは考えられていなかったことが推認でき、そういう意味では、その給料の支給は手取額であったということもできるにしても、仮にその裏給与につき所得税を源泉徴収して納付すべき義務が税務当局に明らかになった場合、その所得税を支給者たる被告人が負担すべきものとは認められない。すなわち、所得税法一三八条によれば給与等の支給をする者は、その支払いの際、所得税を源泉徴収する義務を負担しているにとどまり、給与所得に対する納税義務はその所得者にあることが明らかであり、裏給与についての源泉徴収洩れの所得税も、その支給を受けたものが負担するのが当然であり、給与支給者にその負担義務は生じないというべきである。したがって、所論主張のように源泉徴収洩れ分が昭和五〇年において未払金として計上されるべきものであるとは認められず、原判決の認定に所論の事実誤認はない。

2ところでこの点に関する控訴趣意は次のとおりである。

所得税法一八三条一項は「居住者に対し国内において第二八条第一項(給与所得)に規定する給与等の支払をする者は、その支払の際、その給与等について所得税を徴収し、その徴収の日の属する月の翌月十日までに、これを国に納付しなければならない。」と規定している。そして医療関係の従業員中、医師の給与については、一般の例と異なり、手取額をもって契約するのが通例であり、この場合名目上の支給額は現実の支給額(即ち手取額)に源泉徴収税額を加えたものとなるわけである。

従って支給の時点において、支払者は手許に残った源泉徴収税額を所定の手続によって納付すべき義務を負うことになり、これが相手方との関係では預り金という性格を帯びることになるわけである。

原判決は、医療関係における右に述べたようなしきたり(このしきたりは最近漸次減少しているようであるが、源泉徴収さえ厳格に行われるならば非難さるべきものではない。)に従っていた被告人の行為ならびにこれに関する弁護人の主張に対する理解を欠いたため、争点とかけ離れた判断をなしもって事実を誤認したものである。

3原判決は、本件未払金の対象となっているものは単なる従業員と認定しているがこれは誤りであって、非常勤の医師が対象である。

原判決は、医療業界の慣習を知らないばかりか、所論主張のように源泉徴収洩れ分の給与につき、これを手取額として支給する約定があったことを認めるべき証拠がないと断定している。

被告人は津村税理士の指導により給与支給に際し、常勤医師、従業員グループと非常勤医師グループに分けて両グループの給与合計額を計算させ、各合計額に見合う二通の小切手を振出し、前者の分については被告人がその中から源泉徴収税額を差引いて支給し、後者の分については、計上額そのままを支給し、この分に対する所得税は津村税理士が一年分を纒めて税務署と折渉して税額を算出し被告人がこれを納付することにしていたのである。

従って原判決の言うように源泉徴収洩れではなくて、源泉徴収分が未納付であったに過ぎない。

このことは、検第八号国税査察官作成の銀行調査元帳中、大和/堺の村田政勇名義の当座預金口座において、昭和五〇年一月二五日の借方欄に

給与費 パート・その他 二、六九四、七一〇円

給与費 一月分サラリー 六、二六二、六一三円

の二口の払戻しが記載されていること、昭和五〇年分賃金台帳(符号四)中の田代一雄医師の給料支給内容として

○昭和五〇年一月から六月までの非常勤期間には、いわゆる手取額だけを記載し、所得税の源泉徴収、社会保険料の徴収などが行われていないこと。

○同年七月の途中から常勤となり、以後は所得税の源泉徴収、社会保険料の徴収などが行われていること。

によっても明らかであり、源泉徴収洩れの給与分の支給につきこれを手取額として支給する約定のあったことの証左である。

4原判決は、所得税法一三八条を引用し、給与等を支給する者は、その支払の際、所得税を源泉徴収する義務を負担しているにとどまり、給与所得に対する納税義務はその所得者にあることが明らかであり、裏給与についての源泉徴収洩れの所得税も、その支給を受けたものが負担するのが当然であるというが、本件における非常勤医師に対する給与については、被告人が源泉徴収分を負担する計算のもとに手取額を支給しているのであって、いわゆる源泉徴収が洩れていたものではないから、支給を受けた者が手取額の中から源泉徴収分を負担すべき義務は全く存しない。しかも所得税法二二一条は、「源泉徴収の規定により所得税を徴収して納付すべき者が、その所得税を納付しなかったときは、税務署長はその所得税をその者から徴収する。」と規定しており、本件において源泉未納分は被告人の未払金となることは至極明白であり、原判決は前記証拠及び右法条を看過したか、その解釈を誤ったため重大な事実誤認に陥ったものである。

一三 総括

以上一ないし一一で述べた事実誤認は重大にして判決に影響を及ぼすことが明らかであり、破棄しなければ著しく正義に反するものである。

別添一

更正決定額一覧表

作成資料 〈1〉検甲4号査察官調査書

〈2〉更正決定通知書

〈3〉所得税確定申告書

〈省略〉

〈省略〉

別添二

〈省略〉

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